築地本願寺と『ある日、アヒルバス』
築地本願寺。日本のお寺のイメージとはあまりに違う威容に驚かれる方も多いことでしょう。
この伽藍は、1934(昭和9)年にできあがったそうです。設計をしたのは当時帝国大学の工学部教授をしていた伊東忠太(1867~1954)博士。 古代インド様式をとりいれたものです。
このお寺、もともとは京都にある西本願寺の別院として、1617(元和3年)に建立されました。そのころは浅草近くの横山町にあったそうですが、1657(明暦3)年の明暦の大火(振袖火事)で焼失。
その後、佃島の信者が中心になり、海を埋め立てて土地を築き、1679(延宝7年)に再建されました。その後、関東大震災で崩壊しましたが、前述の伊東忠太設計による再建がなり、現在に至っています。それにしてもあちこちに不思議な動物(怪物?)が多い。
なお、伊東忠太の設計になる他の建築物で現存するものとしては、お茶の水にある湯島聖堂や、両国の東京都慰霊堂などがあります。
この築地本願寺の不思議な動物オブジェを、山本幸久『ある日、アヒルバス』(2008・平成20)でうまく利用しています。とても面白い小説ですよ。
高松秀子は月島にある観光バス会社・アヒルバスに勤めて5年目になる23歳。18人いる正社員バスガイドの1人です。厳しい先輩である「鋼鉄母さん」こと戸田夏美に鍛えられる毎日。ある日、退職した先輩に代わり、新人ガイドの教育係を仰せつかりました。指導をするからには自らが見本にならねばならない、ということで、「鋼鉄母さん」から、自分が新人であったかと錯覚してしまうほど、またまた厳しい指導を受けてしまいます。ただ、新人教育は自らを振り返る上では、かなり役立ちました。
新人達を連れた実地指導で、秀子は築地本願寺を訪れます。ちょっとしたいきさつで、彼女は「鋼鉄母さん」を客と見立てた築地本願寺のガイドをすることになりました。かなりユニークなガイドでした。それは彼女がディズニーランドのジャングルクルーズをヒントに、オリジナルで考えたものでした。これがまた面白い。
築地と『傷口』
(2015年に散歩した時の資料です)
築地は、文字通り埋め立てによって作られた場所です。築地市場の横にある波除稲荷神社の由来書を読むと、この地の埋め立て事業の苦労をかいま見ることができます。江戸の昔、江戸湊の埋め立てにおいて、最も困難を極めたのがこの地だったそうです。波が荒く、堤防がすぐに崩されてしまうためです。ある夜、海面に光を放つものが出現しました。稲荷のご神体でした。それを現在の地に祀ったところ、波風がおさまり、工事が完成できたといいます。
高樹のぶ子の「傷口」(『水脈』所収1995)は、主人公の「私」がある雨の朝、JR有楽町駅でタクシーに乗り、この波除稲荷神社に向かう場面から始まっています。川奈という男性と、神社前で待ち合わせをしているからです。
川奈は、現在甲状腺摘出で入院している彼女の夫の友人で、築地市場に店を持っています。彼女は小説家で、次の作品を書くにあたり、自分の過去の記憶を確認するために川奈に会う必要がありました。
その記憶とは新婚時代、彼女が夫と川奈のアパートを訪れた時のことです。夫は酒に酔って寝てしまい、彼女は夫の友人の相手を一人ですることになります。川奈は彼女にマグロのさばき方などを話した後、何を思ったか自分の膝にある古傷を見せました。包丁で誤って傷つけたとのこと。切った時の傷口の様子を語った後、彼女の指を導き、その傷に触らせました。
その記憶の直後に何があったかを確認すべく川奈に会うことを決めた「私」ですが、市場で迷子になってしまいます。床に流れる水、川奈の古傷、マグロの赤身、そして夫が摘出した甲状腺の赤い肉片……。さまよう彼女の頭の中でイメージがクロスしていきます。
築地中央卸市場と『天国は待ってくれる』
(2015年に散歩した時の資料です)
築地の東京中央卸売市場は、テレビで映されるセリの様子などでおなじみです。牛丼の吉野家の第1号店(画像)もあります。この卸売市場、豊洲へ移転することになっています。
この市場が描かれる作品として岡田恵和の『天国は待ってくれる』(2006・平成18)があります。
宏樹は横浜から築地の小学校に転校してきました。転校初日、クラスの生徒たちを前にした宏樹は、頭が真っ白になってしまい、自己紹介が全くできません。
そんな彼を意外な行動で救ったのが武志と薫でした。武志はクラスの中心人物ですし、薫はマドンナ的存在。2人とも人気抜群です。彼らは宏樹をまるで以前からの親友のように扱い、たった一日でクラスになじませてしまいました。
放課後2人は宏樹を築地市場に案内します。武志は市場でマグロ仲卸の店を営む叔父の家で暮らしていました。薫は市場近くの食堂の娘。その関係で2人とも市場周辺には詳しく、宏樹を驚かせます。
3人は親友になります。宏樹から見て、武志と薫は実に理想的なカップルで、武志に嫉妬も感じます。しかしそれ以上に、武志も薫も人間として最高でした。宏樹は自分たち3人の関係をこの上なく大事に思い、「聖三角形」という言葉で表しました。
やがて彼らは成長していきます。美しくなっていく薫に、宏樹は恋心が一層募っていきました。もちろん武志も薫にずっと恋しています。「聖三角形」がゆがむ日が来ることを宏樹は恐れます。それは薫も同じ思いでした。
しかし、3人が社会に出たある日、それがついにやってきました。
築地場外市場と『魚河岸物語』
(2015年に散歩した時の資料です)
今度は場外市場を歩きましょう。ここを描いた作品として落とせないのが森田誠吾『魚河岸ものがたり』(1985・昭和60)です。物語は1970年代はじめごろ、ある日曜日に一人の青年が場外市場に足を踏み入れるところから始まります。
彼はその地にある鰹節問屋・吾妻商店の3階に身を落ち着けましたが、それから4ヶ月の間、外に出ようとしません。何か事情があるようです。
やがて彼は、場内市場、場外市場と少しずつ外出の範囲を広げていき、地元の人とふれあっていきます。そして1年後、子ども相手の勉強塾を開きました。しかしそれでも青年は、意識的に目立った行動を控えようとしているようです。
時は移ろい、12年の月日が経ちました。彼の最初の教え子も大人となり、それぞれの道を歩み始めていました。そんな中、彼の人生にも大きな出来事が起ころうとしています。
物語では場外市場で日々を生きる人たちが多く登場します。彼らに向けられる作者の優しいまなざしを十分味わえますが、作品には別の魅力もあります。かつて存在し、今は失われた風景が見られるというそれです。(画像は場外市場にある中華そばの人気店)
東邦大学付属東邦中高等学校国語科
千葉県習志野市泉町2-1-37 東邦大学付属東邦中高等学校内