浅草寺本堂周辺物語散歩

浅草観音堂

 さあ、観音様です。すばらしく大きな境内と雄大な堂宇ですが、本尊の観音様はごくお小さい。伝説を信じるならば、その身の丈は一寸八分(いっすんはちぶ・約5.5cm)しかないそうです。

 

仁王門と落語「粗忽長屋」

 雷門同様、大きな提灯が下がっている建物がありますね。仁王門です。宝蔵門とも言います。大提灯には「小舟町」と書かれていますね。中央区の日本橋小舟(こぶな)町奉賛会によって奉納されたものです。

2018(平成30)年に8回目の掛け替えが行われた大きなわらじは、高さ4.5㍍、幅1.5㍍。重さは500㎏あるそうです。仁王尊の力の象徴です。

 

 この仁王門をくぐった辺りに行き倒れが見つかったと語るのが落語「粗忽長屋」です。(「雷門」と演じる人もいます。)

 

 行き倒れの男は身元が不明のため、みな困っています。そこに通りかかったのがちょっとマヌケな主人公。ひと目見るなり「これは俺の友達の熊だ!」と叫びます。ところがよく話を聞いてみると、どうやらよく似た別人のようです。しかし彼は納得しません。「本人を呼んで確かめさせる」と訳のわからないことを言い出す始末。その「本人」であるところの熊もかなりネジのゆるんだ男で、事態は一層こんがらがっていきます。

 

五重塔と『東亰異聞』

 観音堂の向かって左側に立派な五重塔がそびえ立っています。建てられたのはそんなに古くなく、1973(昭和48)年でした。浅草寺に初めて塔が建ったのが942(天慶5)年。それ以来何回か失われては建て直されました。現在建っている五重塔の先代にあたる塔は、1648(慶安元)年に造られ、1911(明治44)年には国宝の認定を受けたほどのすばらしいものだったのですが、惜しく東京大空襲で灰燼に帰しました。なお、現在の塔はそれまでのそれと立つ位置を異にしています。現在の塔以前は、本堂の右側に立っていました。本堂の右側に建っていたころの五重塔に関連して、一つ物語を紹介しましょう。

 小野不由美の小説に『東亰(とうけい)異聞』(1994・平成6)があります。

 

 時は1896(明治29)年。帝都の夜に、奇怪なものが出現をはじめます。袋の中に人魂を入れて見せ物にする人魂売り、複数の生首を宙に舞わせて人の度肝を抜かせる首遣い、白刃の一閃で人の首をそぎ落とす居合抜き。そして「火炎魔人」に「闇御前」…。

 「火炎魔人」とは、自ら猛火にくるまれながら、その炎で人を焼き尽くし、高所から突き落とすという妖しのやから。「闇御前」とは、隠し持つ鉄のかぎ爪で人を裂き殺す、深紅の打掛で姫君の姿をした魔物のことです。果たしてこれらは人なのか、あるいは人の姿を借りた魑魅魍魎のたぐいなのか。

 

 闇御前に襲われた人物の一人に、藤原氏の流れを汲む侯爵鷹司(たかつかさ)家の次男・常熙(つねひろ)がいました。物語は、前述のあやしの事件に、鷹司家の跡継ぎをめぐる問題とが絡み合って、息もつかせぬ面白い展開を見せ始めます。そして事件の真相以上に我々を驚かせる結末へと進んでいきます。

 中でも非常に大事な役割をするのがこの浅草寺五重塔です。物語も後半、この塔において、ある重要な登場人物に悲劇が生じます。

 

奥山跡と古典落語「高田馬場」

 浅草寺の裏手はかつて「奥山」と呼ばれていたエリアです。名称の由来は残念ながら不明ですが、かつてこの辺りでは、小芝居・辻講釈・曲ごま・居合抜き・手妻(手品)などの大道芸人が妙技を演じ、また、女相撲・浄瑠璃小屋などがあって、人々を楽しませました。

 

 また落語の話。もう亡くなってしまった名人落語家の一人に三遊亭金馬(3代目)という人がいます。この人の名人ぶりはCD等の音声資料で今も聞けますが、その中に「高田馬場」という噺があり、その中に奥山の風景が語られ、がまの油売りの口上が再現されていました。

 「がまの油売り」なんて、最近ではまずお目にかからないですね。でもこのお話ではこの油売りが主人公です。

 

 がまの油は切り傷に効くということで、それを聞いた一人の年配の侍が油売りの前に出て、薬を求めます。侍の背中に生々しく残る刀傷を見た油売りは顔色を変えました。実は油売りとは世を忍ぶ仮の姿、実は親の仇をさがして全国を回っている者でした。この刀傷こそ動かぬ証拠、自らの正体を老侍に明かし、真剣勝負を挑みます。その果たし合いは後日、場所を高田馬場に改めて行われることになりました。当日の高田馬場はその話を聞きつけた江戸っ子で大にぎわいです。

 この仇討ち、勝負の行方はいかに?

 

石の枕(一つ家)伝説

 浅草寺の北東に、ほぼ同じ造りをした寺々が並んでいます。浅草寺の支院群です。この中に妙音院という寺があり、そこの寺宝として、「石の枕」が保管されています。

 

 昔、このあたり一帯は「浅茅が原」と呼ばれ寂しい所でありました。その中にあった大きな池の近くに、老婆が娘と一緒に住んでいました。この老婆は、行き暮れた旅人を家に泊めては、重い石を頭に落として殺してしまう鬼婆でした。殺した旅人の数が九百九十九人となり、いよいよ千人にならんとしたところで、見かねた浅草の観音様は、愛らしい稚児に姿を変え、この「一つ家」に泊まりました。すると、老婆の娘が稚児の美しさに迷って、同じ布団で添寝してしまいます。そうとは知らぬ老婆が、いつものように石を落とすと、殺したのは何と自分の娘でした。老婆は深く嘆き、いつしか竜に身を変え、池の底へともぐっていきました…。

 

 この話にある石が妙音院に伝わる石の枕です。婆が住んでいたという池は、後世「姥が池」と呼ばれるようになり、今も浅草寺の東方、花川戸公園の中に跡を残しています。

 

石の枕伝説と『神様!仏様!きつね様!』

 さてここで現代の物語に目を移しましょう。浅草アリス『神様!仏様!きつね様!』(2014・平成26)の中で、この伝説はもっと詳しく語られています。何せ副題からして「花川戸姥が池の怪」ですので。

 

 物語の主人公は高校生の三井ゆき乃。墨田区向島にある三囲(みめぐり)神社の神主の娘です。ある日、父の代理で花川戸2丁目町会の事務所の新築祝いに出たところ、大層なイケメンに出会います。

 浅草神社の神主である彼はゆき乃に目をとめるや、じっと見つめ続けて、「お前、人間じゃねーな?」と言い放ちました。ゆき乃は訳がわかりません。でも彼はゆき乃を妖怪と決めつけ、正体を現せと迫ります。どうやら特殊な能力を持っているようです。

 そんなやりとりも知らず、彼ら2人に町会長が声を掛けてきました。町会長の話題というのが、最近花川戸公園近辺で出現するという、老婆の幽霊のうわさでした。

 

 姥が池の伝説との関係が気になります。もちろん、ゆき乃が一体どのような存在なのかについても。

 

被官稲荷と『一九三四年冬ー乱歩』

 妙音院の近くに古風な雰囲気を漂わせる社があります。被官稲荷といいます。時は江戸の安政の頃、鳶(とび)職で侠客でもあった新門辰五郎の妻が重病で床に伏したとき、山城(現、京都府南部)の伏見稲荷神社に祈願したところ、その効果あって病気は全快したので、町の人がお礼の意味も込め、伏見稲荷神社から分祠し、社を建てたのが始まりだそうです。

 

 このお社は久世光彦『一九三四年冬-乱歩』(1993・平成5)に登場します。

 

 江戸川乱歩は昭和の初めにスランプに陥り、雑誌「新青年」に執筆中の小説『悪霊』も中絶してしまいました。その一時期、乱歩は自宅を離れ、麻布のホテルに長期滞在しています。乱歩40歳。この時の乱歩を物語に仕立てたのがこの小説です。

 

 誰にも行き先を告げずにホテルに移った乱歩ですが、この環境変化は良い効果をもたらし、『梔子姫』という新たな小説を書き始めます。

 

 浅草裏手の秘密の娼館を訪れた主人公は、中国人の美少女に会います。娼婦であるその少女は体が異様に柔らかく、口がきけません。

 

 主人公はこの気の毒な少女を「梔子姫」と呼び、のめり込んでいくというストーリー。この秘密の娼館の場所が、ここ被官稲荷の裏と設定されていました。