雑司が谷周辺の物語散歩です。

(雑司が谷周辺文学散歩)

清土鬼子母神と芭蕉句碑

 不忍通りを西に向かい、右手を見ると、少し奥まったところに何か堂宇が見えます。ここは清土鬼子母神堂と言い、この後で訪れる雑司が谷鬼子母神の鬼子母神像が出現した場所として知られています。境内にはその尊像を清めたという「星の井」(画像)も(水は出ていないようですが)残っています。

 

 雑司が谷鬼子母神のウエブサイトによれば、それは永禄4(1561)年の5月16日のことで、「雑司の役にあった柳下若狭守の家臣、山村丹右衛門」が掘り出したとしています。

 

 星の井の前には芭蕉句碑があります。記されている句は、

 

 此道に出て涼しさよ松の月

 

 というものです。

 

雑司が谷と菊池寛旧居跡

 このあたりは豊島区雑司が谷と文京区目白台の境界が走っています。ぎりぎり豊島区雑司が谷(1丁目)というところにあるマンション「テラス雑司ヶ谷」は小説家の菊池寛が住んでいた場所に建っています。それを示す案内板には以下のように記されていました。(漢数字は算用数字に直してあります)

 

 菊池寛は、明治21年(1888)12月26日に香川県高松市に生まれた。戯曲「父帰る」、小説「無名作家の日記」、「忠直卿行状記」などの作品で文壇の地位を確立した。その後大正12年(1923)に雑誌「文藝春秋」を創刊、昭和10年(1935)芥川賞・直木賞を創設するなど、後進の育成にも尽力し、文壇の大御所と言われた。

 寛は大正12年以来、当地から程近い雑司ヶ谷金山に居住していたが、昭和12年に当地に転居、晩年までここで過ごした。昭和23年3月6日没。

 

 実はここ、以前は「菊池寛記念会館」があって、菊池寛の愛用品や直筆原稿などが展示されていました。以前は生徒と訪れたこともありましたが、なくなってしまって残念です。高松に移転したという情報があります。

 

雑司が谷とくしまちみなと『怪異トキドキあたる』

 雑司が谷霊園のすぐ近くに「雑司が谷宣教師館」があります。改修が終わり、綺麗な姿を見ることができます。アメリカ人宣教師・マッケーレブの旧居で、1907(明治40)年の建築です。豊島区では現存する最古の近代木造洋風建築だそうです。

 

 くしまちみなと『怪異トキドキあたる』(2014・平成26)は、妖怪や幽霊などの心霊現象全般を学術的にてきます。この研究所は「雑司ヶ谷霊園の近くに建っている古い二階建ての洋館」だという設定です。作者さんにはこの建築がイメージの中にあったかもしれませんね。

 所長は霧島仁(きりしま・じん)という32歳の独身男性。助手として働いている沢井結羽(さわい・ゆう)によれば、見かけは若く、20代半ばに見えるそうです。物の怪が見えるという能力を持っていて、モモンガそっくりの妖怪「飛鼠(ひそ)」も住み着いています。仁が「モモ助」と呼んでいるこの妖怪は、ある日突然研究所に入り込み、仁に物の怪の知識を与え、時に守ってやる代わりに居候させろと言ってきたそうです。仁にはあまり生活能力がなく、結羽のアドバイスによってオカルト月刊誌の心霊写真鑑定をすることで、かろうじて口に糊しています。

 

 この研究所に不思議な事件の解明依頼がよせられ、それを仁がどう解決するか、が読みどころのライト文芸です。この本についてはあとでまた触れましょう。

雑司ヶ谷霊園と夏目漱石『こころ』

雑司ヶ谷霊園は1872(明治5)年に作られた共同霊園です。ここに眠る著名人は実にたくさんいて、文学関係だけでも夏目漱石・小泉八雲・金田一京助・竹久夢二・泉鏡花・永井荷風などなど、多すぎて、限られた時間では案内しきれません。

 高校生の現代文の教科書に載ることの多い作品、夏目漱石『こころ』(1914・大正3)の「先生」が墓参に行くのがこの霊園でした。

 

雑司ヶ谷霊園とくらゆいあゆ『世界、それはすべて君のせい』

 もう一つ、雑司ヶ谷霊園が描かれる小説を。こちらはライト文芸で、くらゆいあゆ作の『世界、それはすべて君のせい』(2017・平成29)です。

 

 主人公の咲原貴希(さきはら・たかき)は、栃木県出身。早稲田大学と思われる大学の2年生で、映画サークルを仲間と立ち上げて活動しています。通学には都電荒川線を使います。雑司ヶ谷停留場で降り、雑司ヶ谷霊園の中を通ったところにある「雑司ヶ谷光荘」が彼のアパートです。

 友人も多く、良好な人間関係を築いている貴希ですが、天敵とも言える人物がいます。同じ法学部に所属する村瀬真葉(むらせ・まは)です。性格が最悪で、ついにある日、彼は真葉と衝突してしまいます。

 その一件の後、真葉はしばらく大学に来なくなります。やがて真葉は再び姿を現しました。でも何だか今までと違う。何しろ彼女は貴希の映画サークルに入部したいと言い出すくらいですから。自分で脚本まで書いたとのこと。

 

 

 真葉は今までとは別人のような穏やかな性格になっていました。40度の高熱を出して1週間寝込んだせいだと本人は言います。元々美人の真葉。貴希は次第に彼女に恋愛感情を持ち始めます。

 

  彼はある日、真葉と一緒に雑司が谷周辺の街歩きをしました。真葉は夏目漱石の作品が好きなので、雑司ヶ谷霊園にあるそのお墓を見せてあげようと思ったからです。真葉は霊園の一角にある、墓参の人もいない荒れたお墓に目を留め、両手を合わせています。それを見る貴希は、何だかいい知れない不安に襲われるのでした。

 

 くらゆいあゆ『世界、それはすべて君のせい』は、物語散歩に絶好の作品です。この作品を中心に置いた物語散歩を実施したこともあります。ぜひこちらをご覧下さい。

 

大鳥神社

 都電荒川線の踏切を渡り、線路を左に見て歩きましょう。やがて右手に神社が見えてきます。大鳥神社と言います。拝殿前に置かれたお賽銭箱が巾着の形をしていて、ちょっとカワイイです。神社の紋が巾着なので、それに由来しているとのことです。そういえば手水屋の手水鉢にも巾着の彫刻があります。

 

 境内にある説明板をもとに、この神社の由来を記します。正徳年間(1711~16)に、これから訪れる鬼子母神堂境内に、鷲明神として祀られたのが起源です。明治維新の神仏分離によって、けやき並木の料亭「蝶屋」の敷地に遷座。その時に現在の大鳥神社と名前が変わりました。それを残念に思った旧幕臣の矢嶋昌郁氏が自己の宅地を社地として奉献し、現在の場所に落ち着きました。「その後、境内地を漸次拡張し現状となる。」とあります。いろいろご苦労なさったのですね。

 

 大鳥神社というと「酉の市」が思い浮かびます。浅草の鷲(おおとり)神社のものが特によく知られていますね。浅草の鷲神社にもこの大鳥神社にもヤマトタケルが祀られています。ヤマトタケルは最初に紹介した「夢十夜」の第六夜にも出てきていました。『古事記』や『日本書紀』に出てくる神話上の英雄で、死後白い鳥になったという伝承があります。各地の地名の由来にもヤマトタケルに関係する説話が多くあります。

 

 たとえば…

 

 ヤマトタケル一行が海を渡ろうとしたところ、海の神がそれを嫌って海が荒れました。それを宥めようと海に身を投げたのがヤマトタケル命の恋人・オトタチバナ姫でした。無事に海を渡りきったヤマトタケルの君でしたが、オトタチバナ姫のことを思ってその場を立ち去ることができません。それが「君去らず」→「きみさらず」→「きさらず」→「木更津」になったとか。

 

 ヤマトタケルの白鳥伝承を活かして楽しい物語にしたのが浅葉なつ『神様の御用人』シリーズの第5巻(2015・平成27)「英雄、鳥を好む」です。

 

 人間の信仰心の衰えにより、かつての神威を失いつつある神々。その神たちの願いを叶える役を仰せつかったのが京都在住のフリーター・萩原良彦(はぎわら・よしひこ)でした。何の変哲もない、ごく普通の青年ですが、実現不可能とも言えるようなその願いをなんとか叶えようと誠実に取り組みます。モフモフの狐の姿をした京の方位神・黄金(こがね)と向かったのが滋賀県大津市にある建部神社(と思われる神社)でした。ヤマトタケルを祀る神社です。良彦の前にさっそくヤマトタケルが現れました。切れ長の目に鼻筋の通った顔立ち。麗しい美形です。でも、その姿を見て、良彦も黄金も仰天しました。なぜでしょうか。

 

鬼子母神と『姑獲鳥の夏』

 豊島区雑司が谷の鬼子母神。樹齢約600年という子授け銀杏や、「すすきみみずく」の玩具でも知られています。これまでは都電荒川線の鬼子母神前停留場からのアクセスが便利でしたが、2008(平成20)年に開通した東京メトロ・副都心線の雑司が谷駅からも行けるようになりました。

 

 鬼子母神の北方に法明寺があります。(というより、鬼子母神を祀るお堂自体、法明寺の飛び地となっている境内に存在しています。)鬼子母神堂から法明寺境内に至るあたりは、京極夏彦『姑獲鳥(うぶめ)の夏』(1994・平成6)において重要です。不思議な事件の発生した久遠寺医院のある場所として設定されているからです。

 

 時は1952(昭和27)年です。物語は語り手の関口巽(せきぐち・たつみ)が、友人である古本屋の京極堂こと中禅寺秋彦(ちゅうぜんじ・あきひこ)を訪ねるところから始まります。

 

 関口は京極堂に一つの謎めいた話をします。とある産婦人科で、医院の婿養子が密室状態の部屋から消えてそのまま行方不明となり、妻は妊娠20ヶ月となるのにいまだ出産に至らない、という不思議です。

 その話は京極堂の関心をひいたようでした。その婿養子というのが彼の知り合いだったからです。関口にとっても高校時代の先輩でした。姓が替わっていたため、京極堂に言われるまで気づかなかったのです。

 問題の産婦人科である久遠寺医院には別の噂も立っていました。婿養子が失跡する少し前、生まれた子供がたびたびいなくなったのだとか。

 後に関口は久遠寺医院の娘・涼子に会う機会を得、法明寺の東側に位置するという、その病院を訪ねることになります。ところが関口は、その場所をかつて訪れたような気がしてなりません。次第に明瞭になっていく彼の記憶は、失跡事件の謎と何か接点を持つのでしょうか。気になります。

 

 鬼子母神から法明寺境内へは歩いてすぐです。法明寺の参道は落ち着きのあるたたずまいを見せ、京都か鎌倉にいるような気分にもなれます。

 

鬼子母神と『家庭教師は知っている』

 雑司が谷の鬼子母神が描かれた作品が2019年3月に出ましたので紹介します。青柳碧人『家庭教師は知っている』です。「鬼子母神」と何度も出てきます。場所の描写がそれほど具体的ではありませんが、内容はかなり印象に残りました。

 

 家庭教師派遣センターで主任として働く主人公・原田保典にとって、雑司が谷付近は「学生時代に縁があった」場所だそうです。鬼子母神の境内で一休みしている時、ちょっと気になる女の子を見つけました。小学校高学年くらいの子ですが、この時は平日の昼間。普通なら学校に行っている時間です。胸騒ぎを覚えた彼は、女の子に声を掛けてみることにしました。

 

 彼はこの一件以外に、顧客となっている家庭の「闇」を何度も見てしまいます。各章のタイトルが闇の一部を語っています。「鳥籠のある家」…トイレを含め、あちこちの部屋に空っぽの鳥籠が吊されている、「逆さ面の家」…玄関を入った壁に人の数十人の顔が逆さまに浮き出ている…などなど。