護国寺周辺の物語散歩です。

(護国寺周辺文学散歩)

音羽通りと竹内雄紀『オセロ』

 地下鉄有楽町線護国寺駅の5番出口。今日の「物語散歩」はここからスタートです。目の前に走るのは音羽通りで、向かって右手を見ると護国寺の山門も見えます。もっと護国寺に近い出口もありますけれど、あえてこちらを使います。なぜかというと、この出口は竹内雄紀の小説『オセロ●〇』(2014・平成26)の冒頭に描かれる、大事な場所だからです。出口だけではありません。すぐ近くの大塚警察署前という交差点についての記載もあります。

 

 『オセロ●〇』はタイムスリップの物語です。時間を旅する「私」は、47歳の会社員・岸田信秀(きしだ・のぶひで)。ある日、目覚めると中学3年生に戻っていました。若い父母の姿を見てびっくりしています。

 本来その時代にいたはずの「僕」こと14歳の信秀は、「私」と入れ替わる形で33年後の世界へ。社会人として出勤する羽目になりました。

 ところがこの「2人」、翌朝目覚めると元の世界に戻っていました。そしてその翌朝にはまた互いに時代が入れ替わる……。ややこしいことになってしまいます。

 14歳の「僕」は、音羽通り近くの国立大付属中学に通っています。「ドラ」というニックネームの親友とふざけあうのが大好き。そして後輩の杉崎翔子(すぎさき・しょうこ)も大好きです。33年後の世界で自分のことを「センパイ」と呼ぶ妻がその翔子なのかどうか、彼はとても気になっていますが、もちろん本人に直接尋ねることははばかられます。

 一方、47歳の「私」がスリップした33年前の世界で気にしているのが「あの〈事件〉」です。それはどうやら翔子に関わる大きな出来事のようです。ぞして、彼のその後の生き方を変えることにもなったらしい。その「事件」が、この世界ではあと数日後にやってきます。それに対応することになるのは「僕」なのか「私」なのか。その事件とは一体何で、避けることは可能なのか。「Xデー」は次第に近づいてきます。

 

 信秀、翔子、「ドラ」たちが通う進学校は、音羽通りを大塚警察署前の交差点(画像)で折れ、上り坂を登ったところに設定されています。実際にそこにあるのは筑波大附属高校・中学校。なるほど、ですね。

鼠坂と森鷗外「鼠坂」

 護国寺に向かうのはもうちょっと後にして、音羽通りに沿って南下しましょう。やがて左手に石段のある坂道が見えてきます。「鼠坂」と言います。同じ名称をもつ坂道は、新宿区や港区にもありますが、文京区のこの「鼠坂」は森鷗外「鼠坂」(1912・明治45)に描かれた場所です。

 ある女性の悲劇が語られる、幻想味の強い小説です。

 

 物語は、この鼠坂の坂上にあった屋敷跡に新しい邸宅が建つところから始まります。新しいあるじは深淵という、いわゆる戦争成金でした。

 2月17日の夜、この屋敷では2人の客を迎え、新築祝いの酒宴が開かれていました。日露戦争が終わったころのことで、酒を飲んで口が軽くなった彼らの話題も、戦争時における中国での滞在経験に基づくものが主でした。

 話題の広がりの中、主人の深淵は、客の一人である新聞記者の小川から以前聞いた話はすごかったと、何やら思わせぶりなことを言い出します。もう一人の客はその内容がどのようなものか、大いに興味をひかれますが、話の主役である小川本人は、この話題に触れられたくないようで、語ろうとしません。しかし、小川が嫌がるのもかまわず、主人はもう一人の客に、詳細にその話をしてしまいます。一人の中国人女性の悲劇に関する話でした。そして、悲劇はこの晩、小川の身の上にも降りかかることになります。

 鼠坂という名称について、鴎外は作品の中で「鼠でなくては上がり降りが出来ない」ことから付けられたと説明しています。確かに今でも急な細い坂です。

 

護国寺と夏目漱石「夢十夜」

 さて、それでは護国寺に向かいましょう。駅名にもなっている護国寺ですが、その始まりは徳川第5代将軍綱吉の生母・桂昌院の発願を受け、綱吉が1681(天和元)年に建立を命じたことによります。堂宇の完成は翌年。真言宗の寺院で、本尊は桂昌院念持仏の琥珀如意輪観音で秘仏だそうです。先ほど通った音羽通りはこの門前町でした。ちなみに音羽通りの「音羽」とは、桂昌院の奥女中だった音羽局の名前に依るものだそうです。

 

 護国寺と言えば、夏目漱石「夢十夜」(1908・明治41)の第六夜が思い浮かびます。運慶が護国寺の境内で仁王を彫っているという話を聞いて「自分」が見に行った、ということが冒頭に記されています。

 

 仁王門、ありますね。でも上に書いた通り、護国寺の創建は江戸時代。鎌倉時代の運慶がここで仁王を彫ることはできません。案内板を見ると、建立は「元禄10年(1697)造営の観音堂(現本堂)などよりやや時代が下ると考えられる」とあります。彫った仏師の名は書いてありませんでした。

 境内は広く、多宝塔(1938・昭和13完成)を初めとして目を引く建物が多くありますが、江戸時代の建物としては、大師堂(1701・元禄14)や薬師堂(1691・元禄4)などがあります。

 

 寺社巡りに特化した東京散歩本の傑作に、吉田さらさ『お寺で遊ぶ東京散歩』(2006・平成18)があります。本当に良くできている本で、物語散歩の下見の時にも大いに利用させていただいています。

 

 この『お寺で遊ぶ東京散歩』の中にも護国寺はもちろん紹介されています。ここは筆者の吉田さんがが絶賛するお寺の1つで、「寺散歩大賞を差し上げたいお寺」だと言っています。その大きな理由は「扉はつねに開いていて、奥に並ぶ貴重な仏像群も、ほとんどが常時拝観可能」なところにあると説明しています。由緒もあり、文化財豊富な名刹なのにもかかわらず、拝観料もとらずに開放されていることについ、吉田さんは大いに感動していらっしゃいます。加えてイケメンのお坊さんもいるとか。ここで少し時間を取りますので、確かめてみてください。

 

目白台と笙野頼子『東京妖怪浮遊』

 護国寺を出て日大豊山中高の前を通り、護国寺西の交差点で首都高池袋線の下をくぐりましょう。このあたりは文京区目白台という地名になります。交差点に架かる歩道橋のすぐ近くのアスファルト面に何かパネルがはめ込まれています。真ん中に文京区の木であるイチョウと区の花であるモミジのデザインが区の紋章と共に置かれ、道しるべとなっています。矢印が指し示しているのは「護国寺」と「窪田空穂終焉の地」への方向です。窪田空穂というのは、明治から昭和にかけて生きた有名歌人です。ここから歩いて間もなくのところに、その終焉の地があるのですね。

 さて、気づかずに通り過ぎてしまいそうなこの小さなパネルのことがしっかりと記されている物語がありました。笙野頼子『東京妖怪浮遊』(1998・平成10)です。

 

 主人公の女性は作家さんですね。以前住んでいた都立家政から雑司が谷と目白との境界あたりに位置するマンションに転居してきました。

 

 上京して10年、経済的に不安なく生活ができるようになりました。拾った猫と暮らす彼女は40歳になろうとしています。独身です。本人は今の生活に幸福を感じていますが、周囲は彼女にいろいろとおせっかいな雑音を浴びせます。人間だから煩わしい。そこで彼女は自ら妖怪になってしまいました。その名は「ヨソメ」。次第に妖怪力も身に付き、人間の余計な干渉に反応せずにすむようになりなりました。時に空を飛んだりします。

 

 妖怪化した彼女の目に、自分以外の妖怪の姿が認識されるようになりました。同居する猫も、どうやら触感妖怪「スリコ」らしい。構ってあげずに仕事をしていると邪魔しに来ます。原稿で爪を研いだり、プリントアウト中の紙を前脚で弄んだり。そればかりかワープロを打つこともできるようです。ちゃんと独自の文体を持っているのがすごい。

 

 「ヨソメ」は探検もかねて、よく散歩に出ています。彼女が前述のパネルに気づいたのは、茶漉しと毛抜きと掃除機を買うために「首都高速前の荒物屋」に行ったときのことでした。この荒物屋のモデルと思われるお店(画像・2009年撮影)も以前はあったのですが、いつの間にか建物ごとなくなってしまいました。