飯田橋~市ヶ谷の物語散歩です。

東京大神宮と「神様の御用人7」

 靖国通りから離れ、二号半坂を抜けて北上します。すると進行方向右側に神社が見えてきます。東京大神宮です。縁結びの神様・パワースポットとして、非常に有名です。ただ、元からここにあったわけではなく、最初は有楽町にありました。神社名も日比谷大神宮でした。関東大震災の後で現在の場所に遷座し、名称については飯田町大神宮から現在の名前に変わりました。

 

 2013(平成25)年に初巻が出た浅葉なつ「神様の御用人」シリーズ。主人公はさえないフリーター青年の萩原良彦です。京都の人間である彼はある日突然、神に関する大役を身に負わされました。

 

 神はかつて、人からの敬いや感謝の気持ちを自らの力に変え、その力で人々に恩恵を与えていたのだそうです。ところが今や、人は神を正しくまつることをせず、自分勝手な願いを吐くだけ。人から力を得られなくなった神は、かつて容易だったことさえできなくなっているのだとか。

 そんな神たちの要望を聞き、実現を図るのが良彦の役目です。彼には神が見えるようになります。彼の目に映る力を削がれた神の姿は、一般的な神のイメージとはあまりにかけ離れたものでした。神威に満ちていたころの記憶を失った神も多くいます。

 神が述べる要望は荷の重いものばかり。でもそこには神々の切実なSOSが含まれています。心根の優しい良彦は困りながらも何とか対応しようとします。

 

 西日本中心の物語でしたが、第6巻で「東国」が舞台となり、神田神社と思われる神社が出てきます。その後の第7巻「四柱 瑠璃の満月」の章で、この東京大神宮と思われるお社が描かれていました。

 

帯坂と『春』

 外濠公園に出て、JR市ヶ谷駅方面に向かいましょう。駅近くに帯坂という、変わった名前の坂道があります。怪談「番町皿屋敷」のヒロイン・お菊さんが帯を引きずりながら逃げたという伝説による命名だそうです。

 

 島崎藤村の自伝的小説『春』(1908・明治41)にこの坂が描かれています。主人公・岸本捨吉のお気に入りの坂で、勤めていた麹町の女学校に通う時は、この坂を通ったのだそうです。

 物語は関西方面を半年余り放浪していた捨吉が、久しぶりに友人たちに再会する場面から描かれます。時は1893(明治26)年。捨吉22歳の夏です。

 

 山国出身の捨吉を引き受け養育してくれた恩人さえも裏切る、全てを捨てた放浪でした。洪水のようにあふれる様々な思いをせき止められず、出奔してしまった捨吉。その一つの理由は恋にありました。前述の学校で、彼は教え子であった安井勝子を愛してしまったのです。

 青年らしい悩みにもだえるのは捨吉の友人たちも同様でした。たとえば既婚者の青木駿一は、恋愛と結婚生活とのギャップなどに苦しみ、次第に心を病んでいきます。

 帰京した捨吉は、友人の骨折りで勝子と再会しました。でも婚約者のいる勝子に彼は正直な思いを言えません。もどかしさは募るばかりです。

 品川の遊郭にひと晩を過ごしてしまう捨吉。そんな自分に嫌気がさして、彼は自分の命を捨てようとさえ思うのでした。

 その後、捨吉は恩人に詫びを言うことができ、以前と同じ家に住まうようになります。彼は女学校の卒業式にも招待され、勝子の読む答辞も聞きました。つかの間の平穏を楽しむ余裕もなく、辛い知らせが彼にもたらされます。

 

 捨吉が勤めた学校のモデルは明治女学校。この跡地は、帯坂から歩いてもすぐです。ただ、今回はルートを外れますので、行くことはしません。

 

 

外濠公園と『古本屋探偵登場』

 市ヶ谷駅が近いです。外濠公園の靖国通りに面して開いた入口には、江戸城市ヶ谷御門の石垣の一部が残されています。説明板も設けられており、江戸の昔を想像する助けになってくれます。 石垣の隣には喫煙コーナーと公衆トイレ。少し離れて腰掛けが2基ありました。

 紀田順一郎のミステリー『古本屋探偵登場』(原題「幻書辞典」1982・昭和57)所収の「殺意の収集」に描かれていた場所はここでしょう。

 

 須藤康平は神田神保町で古本屋を営んでいます。彼は新聞に「本の探偵」を行うという広告を出しました。書籍・名簿・卒論等、何でも見つける、という探偵です。

 依頼人第1号は津村恵三という収書家でした。彼は特に限定本の収集に情熱を注いでいて、自らの収書の極意を、熱意ならぬ「殺意」とまで表現する人物です。

 津村は須藤に一冊の古書を入手したと告げました。それは戦前に出た、まさに幻の書です。限定約300部しか出されなかった中で、さらに2冊しかないという私家版。その1冊とのこと。市場に出た時の値段は計り知れません。

 津村はそれを図書館に寄託していました。保管の安全性を考えてのことです。ところが須藤が津村に連れられて、その図書館に見に行ってみると、何とその希書がいつの間にか別の二束三文の雑誌とすり替えられていました。

 須藤は津村の依頼を受け、その謎を解くべく行動を開始します。最初に当たろうとしたのが、石塚という老人。図書館でその本を閲覧した人の1人です。須藤は外濠公園の腰掛けに座る石塚老人を見つけ、声を掛けました。探偵としての彼の腕前に期待です。

 

市ヶ谷濠と「青い芽」

 JR市ヶ谷駅の脇で、靖国通りは外濠を越えます。そこに架かるのは市ヶ谷橋。四ッ谷駅方向に広がる部分を市ヶ谷濠と言います。

 石坂洋次郎の1956(昭和31)年の作品「青い芽」に描かれるのは、外濠のこのあたりだと考えられます。

 

 17歳ののり子は、学校から帰宅すると突然、「沢木さんのお嫁になりたい」と言い出し、母親を驚かせます。沢木というのは1学年上の先輩です。母親に代わって父親が話を聞いてみると、不良にならずにすむから結婚するのだ、と妙な論理を持ち出してきました。彼女なりに何か一所懸命考えているようなのですが、うまく表現できないらしく言葉が不十分です。

 しばらくするとのり子は外苑で野球の応援をするのだと言って出かけます。先の沢木が出場する試合だそうです。送り出した父親は、私服姿の娘を見て、大人びて美しくなったと気づきました。のり子自身も自らの身体の成長を十分に実感し、張り合いのようなものを感じています。

 外苑前に着いたのり子は、銀杏並木で沢木に出会いました。つまらなそうな顔をしています。人数が集まらず試合が流れたとのこと。のり子はここぞと彼に提案。2人でボートに乗りに行きました。

 ボートの上でのり子が先程の父母との会話などを話していると、沢木の顔色が変わります。怪しげな男たちの漕ぐボートがいつの間にか脇に来ていて、2人を脅し始めたのです。のり子も青ざめます。

 すると、沢木がかなり意外な行動に出ました。

 

 物語で2人は市ヶ谷のお濠でボートに乗りました。どれどれと市ヶ谷橋から眺めてみたところ、覆いがかかったボート数艘を発見。さっき来た道を戻って近づいてみたものの、肝心のボート乗り場が存在しませんでした。それらしい雰囲気の建物は存在するのですが、現在は中華食堂となっていました。