麻布十番周辺の物語散歩です。

 

 2022年5月11日に実施しました。3年前にもほぼ同じコースを歩いています。サブタイトルはちょっと遊びを入れて「日向坂からけやき坂へ」。都営地下鉄三田駅を出発したあと、国道1号から綱の手引坂を上り、日向坂を下りて、麻布十番に出ます。その後元麻布からけやき坂のある六本木ヒルズに出て解散、というコースです。小説にも多く描かれる場所ですが、昔からの伝説も残っていて面白いエリアです。紹介した作品と描かれている場所は下図の通りです。

 2019年に実施した時はその年の私立中高進学通信」8月号に掲載されました

 

麻布十番周辺の散歩地図です。

三田駅からスタートです

地上に出ると第一京浜が走っています。こかじさら『負けるな、届け!(原題『アレー!行け、ニッポンの女たち』2016・平成28)は、42.195㎞を走るシティマラソンをめぐるさわやかな物語ですが、その最初にここが出て来ます。東京マラソンに出場している仲間を応援すべく、地下鉄で移動する主人公たち。曙橋で最初の応援を済ませた後、神保町で乗り換えてここに到着しました。第一京浜の沿道で仲間が来るのを待つつもりですが、すごい人出です。

慶応仲通り商店街へ

 第一京浜から離れて、慶応仲通り商店街へ。入ったすぐの所にある「赤穂事件」の関係地・水野監物邸跡の説明標示も見ていくことにします。

渡辺綱の伝説関係地

 慶應大学を横目で見て通り過ぎ、三田高野山弘法寺龍生院にある渡辺綱産湯の井戸をはじめ、綱坂・綱の手引坂・綱生山當光寺など、三田に残る渡辺綱伝説を探りました。有馬の猫騒動に関係する猫塚も見学。

 

 この綱の手引坂は後で訪れる日向坂と同じく、岡康道・麻生哲朗『坂の記憶』(2013・平成25)に描かれています。綱の手引坂は「伴走者」の章、日向坂は「人の話」の章です。

 

 「伴走者」の主人公は長崎出身の男性。長崎の坂のきつさに比べれば、東京の坂道はたいしたことはないようです。大学卒業後の就職先は半導体メーカーでした。現在彼が住むのは「綱の手引坂」の近く。物語は現在の彼がどのような状況にあるのか、徐々に明らかにしていく形で進行します。

 就職後、配属されたのは営業職でした。しばらくして家庭も持ちましたが、営業の成績は振るいません。そんな彼に妻の優しさは救いでした。

 やがて彼に追い風が吹いてきます。別の部署への異動、そして友人からの起業の誘い。やっていく自信も彼にはありました。あとは夢の実現を阻む「壁」を崩せるかどうかです。

 

都立三田高校

 「綱の手引坂」に面して、2つの学校が隣り合っています。都立三田高等学校と港区立赤羽小学校です。三田高等学校は曽野綾子の小説『太郎物語・高校編』(1973・昭和48)において、主人公の山本太郎の通う学校のモデルとなった学校です。ただ、三田高校とは直接に書かれません。太郎が自分の学校を紹介する部分で、なでしこのデザインの校章であり、それは昔女子校だった時からそのままだった、という内容が出てくることで判断しました。三田高校の前身は府立第六高等女学校であり、校章のデザインも描写と一致しています。ただ、三田高校ならでは、という内容の描写は残念ながらありません。 

 

 山本太郎は高校2年生。大田区から通学しています。(当時は学校群という制度があり、千代田・港・品川・大田の各区が第1学区でした。三田高校は日比谷・九段と並んで11群になります。)父親は大学教授、母親は探偵小説の翻訳家です。陸上部で短距離が専門。なかなか良い記録を出していますが、母親は運動に関する知識がないらしく、全く認めてもらえません。3年の五月素子さんが気になる存在です。現代文学についての知識はかなり怪しいものの、古典は自主的に読んでいたりもします。

 

 ちょっとしたきっかけから、太郎は同じ高校の2年生・藤原俊夫という生徒の家におじゃましました。高級住宅で収入もよさそうです。ただ、だんだんわかってきたことですが、この藤原家はかなり親と息子3人との間でかなりトラブルをかかえているようです。人間を学歴を第1の基準として判断する両親に、思春期を迎えた息子たちはことごとく反感を抱いています。やがてそれが大変大きな事件へとつながっていきました。

 

イタリア大使館

 渡辺綱伝承に関する場所を巡る途中で、イタリア大使館の前を通ります。この大使館のある土地は江戸時代、伊予松山藩松平隠岐守の下屋敷でした。赤穂事件に関する場所です。大石内蔵助良雄の息子・主税(ちから)ら10名は、討ち入り後ここに預けられ、ここで切腹をしました。今でも広大な庭の中に大石主税切腹の碑が建っているそうだよと説明。

また、この大使館は田中康夫『三田綱坂、イタリア大使館』(1989・平成元)という短編小説にも描かれる場所です。

 

 理江子が南青山のダイニーズ・テーブル(既に閉店)でその人と久し振りに会った時、彼女の横には恋人の泰宏がいました。その人というのはイタリア大使館の一等書記官・ヴィットリオ・ジノチェッティ。彼女が彼と初めて出会ったのは、1年前にイタリア大使館で開かれたパーティーの場でした。その時の記憶がよみがえります。

 

日向坂から仙台坂へ

 渡辺綱伝説の関係地をひと通り巡った後は、サブタイトルの日向坂を下ります。ここを見たくて参加した生徒もいるので、少し撮影タイムを取りました。坂を下りると古川の流れ。渡ると麻布十番ですね。道はまたすぐのぼりに。仙台坂です。ここが描かれる志賀直哉「赤西蠣太」(1917・大正6)を解説します。

 

 主人公・赤西蠣太は、仙台坂の伊達宗勝に仕える侍です。蠣太は30代半ばの独身男ですが、老け顔で容貌も醜い、さえない人物です。好きなものは菓子と将棋。仲間からも軽く見られがちですが、時に大胆な行動をとることもあり、何やら奥行きの深さをうかがわせます。

 次第に彼の正体が読者に示されてきます。実は彼の正体は隠密でした。

 有名なお家騒動に「伊達騒動」があります。その事件において、宗家横領を企てたのが伊達宗勝と原田甲斐でした。蠣太は相手方の密命を帯び、宗勝の家に紛れ込んでいるのです。

 調査も終わり、いよいよ屋敷を出る時が来ました。蠣太は、原田甲斐を探っていた仲間の隠密・銀鮫(ぎんざめ)鱒(ます)次(じ)郎(ろう)と共に、怪しまれずに脱走する手段を考えます。鱒次郎の立てた計画は、美人で評判の腰元・小江(さざえ)に蠣太が恋文を出して見事に振られる、というものでした。それが噂になり、いたたまれなくなって出奔、という筋書きならば自然だろうと鱒次郎は言います。

 誠実な人である蠣太は気が進みません。偽りの艶書とはいえ、自分のような醜男に思いを寄せられた小江の気持ちに立つと気の毒でならないからです。しかし任務遂行は絶対命令。蠣太は意を決して艶書を書き上げ、小江に渡しました。後は読んだ小江がせせら笑って、仲間たちに触れ回るのを待つばかり。

 

 その後、事態は蠣太の予想に反するような展開を見せ、余韻のある結末へとつながっていきます。

 

善福寺

 仙台坂の坂下を右に折れ、善福寺の境内に入ります。K1戦士アンディ・フグの葬儀が行われたお寺だ、と言っても生徒はきょとんとしています(笑)。

逆さ銀杏や柳の井戸にまつわる伝説を紹介しますが、山口正介が自らの少年時代にだぶらせて作った小説集『麻布新堀竹谷町』(1994・平成6)の中の「逆さ銀杏」に、この銀杏と柳の井戸が出てくること伝え忘れるわけにいきません。

麻布十番

 麻布十番パティオの広場に立つ「きみちゃん」の像童謡「赤い靴」に関連する物語を紹介しました。

麻布十番については、他にいくつかの物語の舞台となっています。 

 伊藤整『若い詩人の肖像』(1958・昭和33)・浅田次郎『霞町物語』(1998・平成10)・中島桃果子『蝶番』(2009・平成21)など、すべてとてもすぐれた物語ですが、詳しく説明する時間がもてないので、ざっとの紹介になってしまいます。 

 

網代公園

 麻布十番の街に網代公園という名の公園があります。漢字に強い人は「あじろこうえん」と読みたくなるでしょうけれど、ここは「あみしろ」です。1962(昭和37)年に消えてしまいましたが、麻布網代町という旧地名があり、それによるネーミングです。公園は1949(昭和24)年に作られました。

 さてこの公園は、原宏一『星をつける女』(2017・平成29)に描かれています。

 主人公の名前は牧村紗英。牧村紗英の仕事はミシュランガイドのいわば個人版。その店に投資してよいかどうか迷っている顧客の依頼に応えて、その店の味を評価するという仕事になります。

 「メゾン・ド・カミキ」の章で彼女が調査するのは麻布十番にある高級フランス料理店です。

 

 フランス産の最高級牛肉「ブルゴーニュ産シャトレー牛」を使った料理を味わった紗英でしたが、彼女の舌はその肉の微妙な違和感を逃しませんでした。「肉が違う」そう直感します。

 それを告げられた店の料理人五十嵐智也は驚きます。彼は最近「スーシェフ」つまりシェフに次ぐ二番手の料理人に昇進したばかり。彼も自分の舌には自信があります。確かめてみると、なんとやはり紗英の言ったことが正しそうだとわかりました。どこで発生したミスなのか。

 

 そのストーリー展開の中でこの網代公園が出てきます。

『蝶番』

その中の一つ、中島桃果子『蝶番』について記します。

 

 登場人物の1人・菓子(かこ)は麻布十番の商店街を気に入っています。彼女は5年住んでいたイギリスに近い雰囲気をこの町に感じたそうです。28歳の菓子は桐島家の4姉妹の次女です。姉の艶子と一緒に、麻布十番と白金高輪との間にある古いマンションに住んでいます。

 菓子から見た姉の艶子は感覚的で感情的、かつ頓狂な性格。でも意外に愛らしい。いつも不安定な恋愛をしているように感じます。

 そんな姉がある日、突然に蒸発しました。菓子が仕事から帰宅すると、詩のような不可解なメモを残し、姉と姉の荷物が消えていました。

 思い当たることのない菓子は仰天。実家にいる末妹の棗(なつめ)に連絡を取り、協力を求めます。話は20歳の三女・虹(にじ)にも伝わり、3人は姉の行動の意味を考えます。ただ、姉は意外と近くにいました。

 

 物語は4姉妹それぞれの視点が次々に交代しつつ紡がれていきます。彼女たち1人1人の性格が、長年家族としてつきあってきた姉妹によって語られる部分は興味深いものがあります。また、時の流れによる、姉妹間、親子間の微妙で複雑な事情の発生は、深い現実味をもって読者の心を刺激します。

 

 物語の行き着く先だけでなく、読みどころがたくさんあります。ぜひじっくりと時間をかけて読みたい小説です。

坂道いろいろ

 その後は坂巡りです。三島由紀夫『豊饒の海』に関係する鳥居坂は見るだけ。暗闇坂を上り、大黒坂から一本松坂へと、このあたりは落語「黄金餅」の主人公が歩いたルートと一致します。暗闇坂や一本松坂ではそこにまつわる謎めいた伝説を紹介しました。

 

古典落語『黄金餅』での話。

 

 貧乏な長屋暮らしをしている金兵衛は、隣に住む乞食坊主・西念の臨終に偶然立ち会ってしまいました。そのほんの少し前、西念は、吝嗇して貯めた大金を自分の死後、みすみす他人の手に渡すのが嫌ですべて飲み込んでしまっていました。それを知っている金兵衛は、なんとかそれを取ろうと、火葬の許可証をもらうため、自分の知り合いの寺の坊主を訪ねます。金兵衛の家は下谷の山崎町(今の上野駅の近く)、寺は麻布のこの大黒坂を越えたあたり。その遠い距離を、タクアンの樽に死体を入れてえっちら運びます。

 

 落語では、山崎町から麻布の寺に行くまでの行程が非常に詳細に語られます。上野から神田須田町、日本橋、京橋、新橋、愛宕山下、飯倉片町、麻布十番…。現在では消えた地名もありますが、金兵衛の足取りを追う上で大変に役立ちますし、演者の力量次第で、単に地名を並べるだけの語りで笑いが生じたりもします。ざっと計測してみたところ、直線距離で上野から麻布まで約8・5㎞ありました。直線距離でこれですから、実際にたどろうとすると10キロは軽く超えるでしょうね。それもタクアン桶の中に入った死体を担いでですから、フィクションとは言え、大変な作業です。西念にも勝る金への執念でしょうか。

 

 その行程のラストで

 

 大黒坂から一本松、麻布絶江(ぜっこう)釜無(かまなし)村の木蓮寺へきた時には、ずいぶんみんなくたびれた。(古今亭志ん生『黄金餅』)

 

 という道行きがみられます。

 

 落語以外、小説では風野真知雄『麻布暗闇坂殺人事件』(2010・平成22)・三田完『暗闇坂』(2005・平成17)などにこの周辺が出てきますので、その場で説明を加えました。

 

『なんとなくクリスタル』

 我々が進んでいる道は、田中康夫『なんとなくクリスタル』(1980・昭和55)の主人公・由利の散歩コースとなっているところなので、該当箇所を読み上げて生徒たちに示します。先ほどの落語「黄金餅」とはちょうど逆の進み方だということも一言。

 

 

 すぐ近くの西町インターナショナルスクール『なんとなくクリスタル』に描かれていますので、その前を通ります。歴史ある学校で、創立は1947(昭和22)年。元々は明治の元勲・松方正義の息子である松方正熊夫妻の私邸でした。この建物は有名な建築家ウィリアム・ヴォーリズ(米)が設計したもので、1921年完成。東京都選定歴史的建造物に指定されています。

 

 主人公・由利は青山学院に通う大学生であるのですが、モデルとしても活躍していて、それなりの収入を得ています。両親はシドニーに住んでいて、由利は青山通りから少し入ったマンションを借りています。「十畳の洋間に八畳のダイニング・キッチンという、なかなか素敵な部屋」だそうです。独り暮らしではありません。これまた学生で、かつプロのキーボード奏者という彼氏・淳一と「共棲」しています。

 

 由利をはじめとするこの作品の登場人物たちは、それまでの青春像を「なんとなく四畳半ソング的な、湿った感じ」「しみったれた生活」として一蹴してしまいます。新しい形の青春の姿がここに描かれました。

 

 ただし、この小説の主人公は大変に広い世界を持っています。めいっぱいゴージャスな所で買い物や食事をするかと思えば、千代紙を買いに下町・千駄木まで行ったり、浅草花やしきのあの古いジェットコースターに乗ったりもします。決して頭の空っぽな学生ではありません。しっかり森鴎外も読んでいて、鴎外記念館のある団子坂に足を運んでもいます。このへんの深みが単なるアホな学生と違うところです。

 

 進んだ自由恋愛の思想かと思いきや、由利は「淳一がなくては、耐えられない」と思い至ります。当時流行した様々のブランド、ショップ名がちりばめられたその表皮をむくと、昔ながらの愛の形が現れるという構成がおもしろい小説でした。

 

幻のがま池

 近くにがま池マンションの庭池として残されていました。ここはかつて五千石の大名、備中成羽(なりわ)藩初代藩主・山崎治正(やまざき はるまさ)の屋敷だった場所です。

 

 ある日、夜回りをしていた家来が大蝦蟇に殺されてしまいました。怒った治正は、蝦蟇を退治しようと決意。すると、その夜の夢枕に白衣の老人が現れ、蝦蟇の化身であることを告げて罪をわび、これからは火防せに尽力することを誓いました。その後、文政年間に古川岸に大火がありましたが、その時大蝦蟇が現れ、水を吹きかけて延焼を防いだといいます。

 

 がま池は前述のようにマンション内の池ですから、行けません。このマンションが建つ以前もなかなか近づきにくかった池でもあったらしく思えます。それが描かれているのが、前出の山口正介『麻布新堀竹谷町』の「がま池」という1編です。

 

麻布運動場と「水澄」

 がま池を抜けた先、視界が開けます。ここに野球場があります。これは港区の麻布運動場です。その西側に広がる有栖川宮記念公園と同じく、かつては有栖川宮家の御用地でした。

 伊集院静『三年坂』(1989・平成元)所収「水澄」の主人公の男は、この野球場のすぐ近くに座っていながら、その存在に気が付くまでかなり時間がかかりました。考え事にふけっていて、周囲を見まわす余裕がなかったからです。

 

 男はセールスマンです。その仕事が自分に合っているとは思っていません。特にこの日はうまくいかず、半日の努力が結局は無駄になってしまいました。

 かつて彼は甲子園をめざしていた球児でした。チームの中でも実力は図抜けており、プロのスカウトも注目していました。しかし、その力は彼を思い上がらせました。浅慮から、未来が閉ざされるような問題を起こしてしまうのです。彼のつまずきは家族の不幸をも招きました。

 彼は公園のベンチに腰掛けて、来し方をふり返ります。上京してからの20年も、そのほとんどが満足とは程遠いものでした。

 彼に野球場の存在を気づかせたのは、同じベンチを使ってユニフォームに着替え始めた眼鏡の男でした。どうやらこれから始まる試合の監督のようです。

 

 ちょっとしたきっかけでした。男はその草野球チームに飛び入りで試合に参加する事になります。

 野球なら経験豊富な彼です。次第に勘も取り戻してきます。そればかりか、がむしゃらに甲子園を目指していた頃には経験のなかった、1つのことに気づいて驚きました。

 

 その日の夜、男は再び1人になっています。有栖川宮記念公園の池畔で水面を見つめつつ、彼は何を思うのでしょう。穏やかな気持ちになれる作品です。

 

ゴールに向かって

 じつはこの辺りで予定時間が残り少なくなってきていました。有栖川宮記念公園を通りたかったのですが、無理そうです。前述の伊集院静「水澄」についてざっと説明した後で、ゴールである六本木ヒルズのけやき坂へ。毛利庭園の中に立つ、毛利甲斐守邸跡の碑を見ながら「赤穂事件」についてもう一度振り返って解散しました。

 

 以下は当日訪れることができなかった有栖川宮記念公園地下鉄日比谷線広尾駅に関係する物語です。

 

有栖川宮記念公園と『半熟AD』

 有栖川宮記念公園に入りましょう。高低差をうまく利用した、緑豊かな公園です。かつての陸奥盛岡藩下屋敷で、1896(明治29)年に有栖川宮威仁(たけひと)親王の御用地になりました。その後、高松宮御用地となりましたが、1934(昭和9)年に東京都に公園地として下賜。同年11月に有栖川宮記念公園として開園・開放されたものです。

 

 すぐ目の前に都立中央図書館がありますね。将来利用する人もいるかもしれません。もらったパンフレットには、「約206万冊の蔵書を有する国内最大級の公立図書館」だとあります。そのうちの約36万冊は書架に並んでいますので、自由に手に取ってみることができます。コミックコーナーもありますよ。平日は午後9時まで開いているのも魅力です。ぜひ一度は中に入ってみてください。入る場合は入口で入館証をもらい、奥のロッカーで荷物を預けてから入ります。

 

 図書館での読書や調べ物に疲れれを感じた時には、公園に出て休むのも良いでしょう。どのようにでも時間を過ごすことのできるエリアです。この公園の中で、小型犬のビデオ映像を撮っている男性たちがいます。碧野圭『半熟AD』(原題『失業パラダイス』2010・平成22)の田之倉敦とその同居人です。

 

 敦は27歳。国家公務員を辞め、中堅の映像制作会社でADをしていましたが、リストラ。今はハローワークに通う身です。住んでいるのは有栖川記念公園近くの格安アパート。フリーカメラマンの阿藤カズオと、敦同様にリストラされた元ディレクターの岡本順正が同居しています。

 つましい生活を余儀なくされる日々。ある時岡本が「映像屋本舗」なるビジネスを持ちかけてきました。敦の恋人である川島瑞稀は、その仕事を「映像の何でも屋」とまとめました。

 気の進まない敦でしたが、間もなく客が現れます。その要望というのは、家族同様に思っている小型犬の、誕生日記念のビデオを撮ってほしいというもの。その撮影場所となったのが有栖川記念公園でした。

 プロならではの機材を使って撮影は進みます。人目を引くので、敦は恥ずかしくてなりません。さらに予想外のトラブルにも見舞われてしまいました。

 

 4件目の依頼はメールで来ました。自分の歌う姿をビデオに収めてほしいという内容でした。約束した場所に現れたのは、おどおどした少女。何か事情がありそうです。会った後、彼女から届いたメールを開いた敦は衝撃を受けます。

 

有栖川宮記念公園と『ホイッスル』

 藤岡陽子『ホイッスル』(2012・平成24)にも有栖川宮記念公園が描かれていました。

 

 時は8月、鳥の声が聞こえるベンチに座っている男女2人の姿があります。男性は70代半ば、女性は40代後半のようです。

 

 出来事の発端は前年の6月にさかのぼります。上村(うえむら)香織は65歳になる母から電話を受けました。内容は衝撃的で、香織の父・石巻章が母を置いて女性と家を出てったばかりか、暮らしていた家までいつの間にか売却していた、というものでした。

 仰天する香織。香織が見る限り、両親は不仲であったとは思えないからです。次第に状況がわかってきました。父親は以前入院していた病院の看護婦・沼田和恵と交際しているようです。母の聡子は大きなショックを受けています。

 

 小説は、今記したことから4年後の、ある1日から始まっています。香織に警察から電話があり、「章が脳溢血で死亡した。見取る人のいない、たった1人での死去だった。署まで来てほしい」旨の連絡を受ける、という場面から書き出されます。上記の発端がどのような経緯で父・章の孤独死に至るのでしょうか。

 

 さて、有栖川宮記念公園での場面です。70代の男性というのは章のこと、女性の方は和恵です。ベンチに座っている章は何かが入っている紙袋を、隣に座る和恵に渡しています。和恵は受け取った紙袋を自分のバッグにねじ込みました。紙袋の中身がどうにも気になります。

 

有栖川宮記念公園と『一千兆円の身代金』

 八木圭一『一千兆円の身代金』(2014・平成26)にも有栖川宮記念公園の描写を見つけました。

 タイトルにもあるように、児童誘拐の身代金がなんと1085兆円! という物語。まさに桁外れです。なぜでしょう。誘拐されたのは元麻布小学校に通う小学5年生の男の子。元副総理の孫でした。有栖川宮記念公園は、男の子のお気に入りの公園だという設定です。

 

 他には日比谷公園の描写があります。中でも公園内の噴水については詳しい描写でした、また、日比谷松本楼も、身代金に関係して出てきています。

 

 この物語は2013年に「このミステリーがすごい!」大賞を受賞しました

 

広尾駅と『葉桜の季節に君を想うということ』

 有栖川宮記念公園のすぐ先に東京メトロ・日比谷線の広尾駅がありますので、こちらについても物語散歩してしまいましょう。ただ、物語の舞台に行くためには、改札を抜けてホームに入ることが必要です。

 

 歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』(2003・平成25)の主人公「俺」は、この駅の2番ホームで、女性がホームに落ちたのを目撃して驚きました。電車が近づいてきています。彼はとっさにホームに飛び降り、間一髪、助けることに成功しました。

 どうやら彼女は、飛び込み自殺を図ったようです。白いワンピースを着た、左目の下の泣きぼくろが印象的な女性でした。

 白金にある古いアパートを自らの「城」としているこの主人公は、活力に溢れた人物です。ジョギングにウエイトトレーニングと、体力作りに余念がないのは、ガードマンという彼の職業を考えれば納得できます。

 「俺」は過去に探偵業に携わったこともあります。そこを見込まれ、ある高齢者の死の真相究明に乗り出すことになりました。表向きは車の事故ですが、保険金目当ての殺人かもしれないというのです。家族も知らない謎の誰かによって勝手に保険をかけられ、殺された可能性があるとのこと。疑わしいのは、被害者が非常に高額な商品を多く購入していた、ある訪問販売会社でした。

 「俺」は妹の綾乃を連れ、その会社が実演販売をしている場所に紛れ込みました。何か証拠をつかむことができるのでしょうか。

 先述した自殺未遂の女性も「俺」の前にまた姿を現しました。この女性は彼にとってどのような存在となっていくのか、興味は尽きません。

 

 実に見事なミステリー。ラストで多くの読者は「そうだったか!」と思うことでしょう。2004年の「このミステリーがすごい!」で第1位に輝いた作品です。

(六本木駅周辺の物語散歩については、こちらをご覧下さい。)