千駄木周辺の物語散歩です。

森鷗外と夏目漱石の旧居跡

 根津神社の裏門から通りに出ます。そこは左手上りの坂になっていて、根津裏門坂というそうです。向かい側にあるのが日本医科大学。その横にある道を入っていくことにします。このあたりは旧地名で駒込千駄木町といいました。

 

 旧駒込千駄木57番地。郁文館中高の裏手にあたる地に大きな碑が立っていて、夏目漱石の旧居跡を示しています。碑文は川端康成の筆になるものです。この地は、漱石だけではなく、鷗外も住んでいたことがあります。鷗外、漱石、川端康成というそうそうたる顔ぶれ。「文学散歩」の人気スポットです。

 

 先にここに住んだのは鷗外でした。最初の妻・登志子の実家・赤松家の持ち家である上野花園町の家から1890(明治23)年に移り、1年余りここで過ごしました。

 英国留学から帰り、1903(明治36)年3月に引っ越してきたのが漱石です。3年後の12月、本郷西方町に移るまで、ここで過ごしました。ここで漱石は『吾輩は猫である』を執筆。この家は通称「猫の家」と呼ばれました。その建物は現在、愛知県犬山市の明治村に移築保存されています。

 

光源寺と漱石作品 

 少し歩くとバス通りに出ます。通りを隔てた向こう側に光源寺という寺院があります。通称「駒込大観音」。きれいな近代的建物の中に、文字通り大きな観音像が安置されています。このバス通りも「大観音通り」と言います。先の『三四郎』の中にも出てきますし、『こころ』(1914・大正3)にも少し出てきます。主人公「私」の人生に大きな影響をあたえることになる知人・Kが下宿をしていた場所がこの近くでした。

 

 最初の夏休みにKは国へ帰りませんでした。駒込のある寺の一間を借りて勉強するのだといっていました。私が帰って来たのは九月上旬でしたが、彼ははたして大観音の傍(そば)の汚い寺の中に閉じ籠っていました。(20章)

 

観潮楼と鴎外記念館 

 鷗外が先に説明した場所から引っ越した場所は、今、鷗外の記念館になっています。鷗外は1892(明治25)年1月にこの場所に引っ越しました。当時、海が見えたことから観潮楼と名付けられました。鷗外は1922(大正11)年7月9日に61歳で亡くなるまでこの地に住んで執筆活動に励みました。建物自体は空襲で焼失してしまいました。

 

 この記念館、以前は鷗外記念本郷図書館として、無料で貴重な資料を見ることができたのですが、今は有料になってしまいましたので(?)、入りません。

興味のある人はまた訪れてください。

 

団子坂と『D坂の殺人事件』

 道はこの先、下り坂となっています。団子坂と言います。頭文字はDですね。「D坂」と書くと、あれ? と思う人がいるかもしれません。ミステリー作家江戸川乱歩「D坂の殺人事件」(1925・大正14)がありますが、その「D坂」のモデルがここ団子坂です。

 作者の江戸川乱歩(本名・平井太郎)は、1919(大正8)年に団子坂上に引っ越し、二人の弟とここで古本屋「三人書房」を営みました。

『D坂の殺人事件』でも事件の舞台は古本屋でした。

 

 9月初旬の蒸し暑い晩、事件は発生しました。D坂にある古本屋の女房が何者かに絞殺されるという事件です。殺されたのは午後8時前後と思われますが、妙なことがあります。D坂に面した店舗部分にも、住居になっている奥の部分にも怪しい人物の出入りがないことが、たまたまそれぞれの場所を見る位置にいた人間によって確認されました。一体犯人はどうやって現場に行き、また去ったのか。殺人の動機は何か。

 

 事件の真相は、その古本屋を見下ろす位置にある喫茶店に居合わせた明智小五郎によってなされます。なお、名探偵・明智小五郎のデビューはこの作品です。

 

団子坂と『浮雲』

 団子坂の由来については、坂下に団子屋があったため、など複数の説があります。かつてこの坂は菊人形の小屋が出て賑わいました。

 

 明治の作家・二葉亭四迷といえば言文一致体小説のさきがけ。日本文学史でもおなじみです。ただ、知名度に比べて、小説の中身の認知度はかなり劣るのではないでしょうか。せっかくなので、代表作『浮雲』を「物語散歩」してみたく思います。物語の中に団子坂が出てきますので。『浮雲』は未完とされます。最後の第三編が出たのが1889(明治22)年です。

 

 主人公・内海文三は静岡出身の若者です。実家は豊かではなく、父の死後、母を残して上京。叔父の家に身を寄せました。某省の官吏になった文三は叔父の娘であるお勢に恋心を抱きます。幸いお勢の母・お政はお勢を文三の嫁にと考えているようです。

 そんな時、文三は突然免職を食らいました。人員整理のためのようですが、文三はなぜ自分が対象になったのかわかりません。

 免職をお政に伝えたところ、上司に取り入らなかったからだと、彼女は手厳しく文三を非難します。ただ、お勢が味方につき、お政をたしなめてくれたので、文三は少し救われた思いになりました。

 文三の元同僚に本田昇という男がいます。大変に如才なく、お政の家にもよく遊びに来ます。お政も本田を気に入った様子です。

 

 ある日、本田は団子坂での菊見にお政たちを誘いに来ます。文三は断りますが、お勢は承諾。出かけるお勢の足音を聞きながら、自分に対する彼女の気持ちがわからず、せつない思いに襲われる文三です。さて彼の恋の行方は?

 

 漱石の『三四郎』にも団子坂の菊人形は出てきます。三四郎は広田や美禰子たちと一緒に菊人形を見に出かけ、気分が悪くなったという美禰子を気にしているうちに他の人たちと離れ、彼女と二人きりになる、という状況が描かれます。

 

団子坂と『かくして彼女は宴で語る』

 令和の作品、宮内悠介『かくして彼女は宴で語る』(2022・令和4)をご紹介します。この散歩で一緒に歩いた生徒から情報をもらいました。

 物語の舞台は明治の時代です。隅田川のほとりにあった洋食屋「第一やまと」につどった「パンの会」の面々が、持ち込まれた謎について推理を巡らせるという内容になっています。

 小説のサブタイトルに「明治耽美派推理帖」とあるように、「パンの会」は耽美派青年芸術家たちの集まりで、小説にはそのメンバーである木下杢太郎・吉井勇・北原白秋らが登場しています。森鴎外も出てきます。

 最初の一話の題は「菊人形遺聞」で、この団子坂にあった菊人形小屋で摩訶不思議な事件が起こったという設定になっています。もちろん森鴎外についても語られます。

 謎解きももちろんですが、当時の事件や社会状況、流行、文化などについても大いに得るところのある作品です。(画像は団子坂に並行する石段の坂。登り切った正面が観潮楼跡になります。)

 

 

須藤公園と『東京近江寮食堂』

 団子坂のそばにある須藤公園は、起伏に富む地形を利用した緑豊かな公園です。池には弁財天がまつられています。

 渡辺淳子『東京近江寮食堂』(2015・平成27)の中に登場する団子坂近くの公園、描写を見ると自然に須藤公園が思い浮かんできます。

 

 主人公の寺島妙子は59歳。滋賀県の人です。休暇をもらって上京してきました。ところが上野で財布を紛失。拾ってくれたのは、団子坂近くにある滋賀県公認の宿泊施設「東京近江寮」の管理人・鈴木安江でした。妙子はこの寮に一泊します。

 寮の隣は池を有する日本庭園風の公園でした。そこで妙子は昔の自分の写真を持ったホームレスに出会います。

 妙子が上京したのは、10年前に蒸発した夫の捜索のためです。夫は元料理人。近江料理の店を出したものの失敗してその後失跡。ホームレスが持っていた写真は、夫が家から持って出たものでした。

 ホームレスは逃げてしまいましたが、また公園に来るかもしれません。妙子は近江寮に滞在することにしました。かつ、ある事情から寮の利用者に食事を作る役を引き受けます。妙子には幼い時からの料理経験がありました。彼女の作る郷土の家庭料理は、少しずつ寮の雰囲気を変えていきます。

 一方、肝心な夫の行方とその蒸発理由ですが、妙子とって意外な内容が次第に明らかになっていきました。  

食が取り結ぶ人と人との縁。食事というものはすばらしいと改めて実感できる物語です。寮の関係者は皆個性的で存在感があります。特に安江のしゅうとめさんはこの上なく良い味を出しています。途中に出てくる「女の子」も。

 

 散歩した時、須藤公園の池のほとりには「かっぱに注意」という面白い札がぶら下がっています。生徒たちが面白がっていました。