四ツ谷駅周辺物語散歩です。

外濠公園総合グラウンドと「ナイン」

 市ヶ谷から四ツ谷に向け、外濠公園を歩いていると、進行方向右側、JRの線路の向こうに少し変わった形の野球場を見ることができます。千代田区立外濠公園総合グラウンドです。陸上競技場としても使用されていますが、野球場としては左翼が110㍍あるのに対して、中堅方向が70㍍で、変則的な形となります。井上ひさし「ナイン」(1987・昭和62)は、かつてここでドラマがあったと語ります。

 

 四ツ谷駅前の新道(しんみち)という通りにある商店の少年たちで組織された新道少年野球団は、この野球場で行われた新宿区の少年野球大会で準優勝しました。真夏の炎天下、午前中の準決勝を戦った後、午後の決勝戦は延長12回にまで及びました。かつ、準決勝も決勝も、英夫という一人の投手が投げ続けたのですから、非常に価値のある準優勝と言えるでしょう。それから20年近く経ち、30歳になった当時のメンバーたちは、ほとんどが一人前の大人として暮らしています。

 ところが、4番打者で捕手、キャプテンであった正太郎だけは違いました。どこかで道を踏み誤ってしまったようです。

 投手だった英夫の家は畳屋ですが、正太郎の依頼を受けて手配した85万円分の畳代を踏み倒されました。左翼手だった常雄の場合はもっと悲惨で、正太郎に400万余りを持ち逃げされた上、妻まで奪われてしまいました。

 しかし、英夫も常雄も正太郎の件を警察に届けませんでした。それどころか英夫は、やはり正太郎は自分たちのキャプテンなのだ、と言います。なぜでしょうか。その一番の理由は、炎天下に行われたあの決勝戦にありました。

 

 静かな感動を呼ぶ作品です。井上ひさしは、新道通りに住んだこともありました。1965(昭和40)年のことだそうです。作品には、野球場や新道通りの、時の移ろいによる様子の変化も描かれています。

外濠公園と『日曜は憧れの国』

 外濠公園を歩いています。四ッ谷駅に近づいた頃、公園の左手に学校が見えます。双葉学園の校舎です。超有名な女子校ですね。

 JR四ツ谷駅近くの外濠公園、屋外用のベンチに座る女の子4人がいます。顔をつきあわせて何やら真剣に話し合っています。

 

 彼女たちは円居挽『日曜は憧れの国』(2016・平成28)の主人公たちです。暮志田千鶴(くれしだ・ちづる)・ 先崎桃(せんざき・もも)・神原真紀(かんばら・まき)・三方公子(みかた・きみこ)。4人とも中学2年生ですが、学校はバラバラ。性格もまちまちです。彼女たちは四ツ谷駅前に設定されている「四谷文化センター」で知り合いました。カルチャーセンターです。そこでは生徒獲得のためでしょう、お安く5つの講座を体験できるという「トライアル5コース」なる5枚綴りのチケットを販売しました。4人の女子中学生たちは、チケットを持ち、文化センターの料理教室に出向いたことで知り合いました。ところがそこで思わぬトラブルに巻き込まれます。4人はそれぞれ知恵を出し合って、そのトラブルの真相を見抜くことができました。それと同時に、個性ばらばらだった4人の間につながりが生まれてきます。

 

 さて、初めに書いた場面です。料理に引き続き、将棋、歴史、小説執筆とトライしてきた彼女たち、いよいよチケットも残り1枚となりました。さあ、ラストは何の講座で締めようか、と相談中だったのです。なかなか意見がまとまりません。そんな時、どこからか1枚の画用紙が風に飛ばされて来ました。手に取ってみると、誰かが描いたのでしょう、高い視点から外濠を見下ろした構図の、鉛筆書きの写生です。たいそう上手に江描かれています。何の気なしにその絵を裏返してみた千鶴は思わず悲鳴を上げてしまいました。「助けて」という文字がそこに書かれていたからです。いたずらなのでしょうか、それとも何かの事件なのでしょうか。

 

四谷見附橋と『帝都探偵 謎解け乙女』

 JR四ッ谷駅入口のすぐ先に架かっているのが四谷見附橋です。新宿区と千代田区とを結びます。現在のものは1991(平成3)年に新しく掛け替えられた橋です。

 伽古屋圭市『帝都探偵 謎解け乙女』(2013・平成25)は1919(大正8)年の東京が主な舞台です。四谷見附橋も出てきますが、こちらは1913(大正2)年完成の、先代の橋となります。今は八王子市別所の長池公園内に移設・復元されています。欄干の一部は新宿歴史博物館でみることができます(画像)。

 

 物語の「俺」は富豪・仁井田家お抱えの人力車夫です。ある日、仁井田家の三女・菜富から「名探偵になることに決めた」と宣言されて面食らいます。菜富は「俺」より1歳年下で高等女学校に通う17歳。どうやらシャーロック・ホームズの活躍する小説を読んで影響されたようです。

 「俺」は仁井田家に恩を感じています。菜富お嬢さんがそう言うならと、協力を惜しまない決心です。

 すると渡りに舟、依頼がいくつか舞い込んできます。3番目のそれは奇妙でした。依頼人は自らのことを未来から来た人間だと言います。1917年に起きたロシア革命において、超重要なものを託された日本人がいたそうで、依頼人にとっては過去にあたるこの時代でその人物を探し出したい、と言うのです。

 未来から来たということ自体「俺」には全く信用のできない話です。でも菜富お嬢さんは大いに乗り気。必ず捜し出しましょうと力強く言い切ってしまいました。

 依頼人によれば、捜し出したいその人物は四谷界隈に住んでいるのだとか。彼らは四谷見附橋で待ち合わせをしました。これから手分けをしての捜索が開始されます。

 

 これまで2度の依頼をこなしている菜富。観察力や洞察力は非凡ですし、解かれた謎を披露する弁舌も大したものだと、「俺」は感心しています。今回はどうでしょう。

 菜富の明るさが物語全体を彩っています。読者は物語の深い奥行きにも、やがて気づくことになるでしょう。

 

外濠公園と『担当の夜』

 外濠公園はJR飯田橋駅近くからずっと続いています。JR四ッ谷駅の南、ソフィア通りに並行している部分を通りましょう。松や桜の巨木があちこちに存在し、道をふさぐように幹を伸ばしているものもあります。眼下には上智大学のグラウンド。その先には迎賓館。眺望も申し分ありません。上智大学のグラウンドがある濠を「真田堀(さなだぼり)」と言うそうです。

 関純二『担当の夜』(2013・平成25)の「俺酒」の章にもここが描かれていました。

 

 主人公の「俺」こと高野は長く週刊の青年漫画誌の編集に携わっていました。

 どうすれば世に受ける漫画を生み出せるのか。漫画家だけではなく、担当編集者の力にもかかっています。アクの強い若手、限りなくマイペースの大御所など、担当する漫画家の個性に応じて渡り合い、原稿を完成にまで持って行く。そこには担当編集者対漫画家のナマの人間同士のぶつかり合い、勝負が見て取れます。

 しかし漫画編集者はあくまでも裏方。苦労して世に出した作品がヒットしても、名が残るのは漫画家だけです。無理がたたって体を壊したところで、読者から見舞いの言葉など来るはずがありません。

 副編集長から編集長になり、現在はそのポストから外れた位置にいる高野の心身もぼろぼろな状態。しかもアルコール中毒です。春先のたそがれ時、高野は6本のカップ酒を持って、この外濠公園に入りました。

 腰を落ち着けた彼は、早速1本目の酒を口にします。1人だけの宴会。しかし、彼の脳裏には話しかける相手が何人もいました。既に世を去った先輩編集者もいます。その中の1人「Eさん」に、高野は次第に思いを馳せていきました。

 

上智大学と『一曲処方します』

 2013(平成25)年に創立100周年を迎えた上智大学に入ります。カトリック修道会イエズス会が開設した学校です。

 上智大学構内については、沢木褄(つま)『一曲処方します―長閑春彦の謎解きカルテ―』(2015・平成27)に詳しい記載がありました。

 

 長閑春彦が院長の「のどか音楽院」は心療内科のクリニック。真田堀や紀尾井坂からごく近い場所に設定されています。彼は不思議な能力の持ち主。人を診ると、その人から音楽(クラシックや童謡など)が伝わってきます。聞こえてきた曲について調べていくと、その人の心の底に潜んでいる悩みが見えてくる、というストーリー。ライト文芸としての次元ながら、戦争や風評被害の問題にも触れています。散歩にとても向いています。外濠公園の上智大学の野球場を見下ろせるあたり、とか、上智大学の構内とか、実際と重なる描写が多くありました。

 

 上智大学は、クリニックを訪れた大川美菜の通う大学です。彼女は数ヶ月前から頻繁に動悸がするようになったそうです。加えて、疲労感や頭痛にも悩まされています。長閑春彦が彼女の心を「聴診」すると、聞こえてきたのは結婚行進曲。元はシェークスビアの喜劇『真夏の夜の夢』に出る劇中歌で、本来明るいイメージのもの。何か問題を抱えていると思われる美菜からこの曲が聞こえてくることには、何らかの謎がありそうです。

 「のどか音楽院」でアルバイトする女子高生・宮島満希(みやじまみつき)は、長閑の依頼を受け、美菜の身辺調査をすべく、上智大学に向かいました。初めて入る大学です。外濠に面している正門を入り、守衛所で入構の許可をもらい、赤レンガの洋館と近代的な高層超高層ビルとにの間にある道を進みます。…小一時間ほどで満希は構内の大体を見て回れたようです。彼女が最も驚いたのは大学内に教会があることでした。中に入ってみようとした時、幸運にも彼女は美菜を見つけることができました。神様に感謝して、さっそく後をつけます。美菜は男子学生と一緒に、教会の前にある建物の、半地下になっている食堂に入っていきました。

 

 外濠公園の南端は、食違見附に続きます。見附とは、ごく雑に言えば江戸城の城門のことです。中でもこの食違見附は、道がクランク状になっていて、敵が容易に侵入できないようにしていました。その名残は今でも見ることができます。