駒形橋周辺物語散歩

駒形橋と『指哭』

 隅田川の駒形橋は、台東区側の橋詰近くにある、馬頭観世音を祀った駒形堂が名称の由来です。現在のお堂は2003(平成15)年に建てられたもので、朱色が鮮やかです。それに対して駒形橋の基本色は青色。橋の上と下とにある3つのアーチが特徴の、とても美しい橋です。完成は1927(昭和2)年。

 

 鳥羽亮『指哭 強行犯刑事部屋』(1992・平成4)では、物語のクライマックス近くにこの駒形橋が描かれます。

 

 ある日、西浅草署の刑事である高杉の自宅に、不審な小箱が届きました。内容物は何と1本の指。男性の指のようで、既に腐敗臭がしています。

 翌朝、神田川に浮かぶ男性の死体が発見されます。死体の左手の指が1本ありません。解剖の結果、失われた指は高杉の家に送られたものと一致することが分かりました。また、死体のポケットからはサインペンで親子の猿の絵を描いた紙が発見されました。

 猟奇的な事件は終わりません。別の刑事のところに、指の入った小箱が届けられたのです。今度は女性の小指でした。そしてその翌日の午後、女性の死体が発見されました。場所は浅草にあるマンションで、失血死のようです。左手の小指が失われており、死体の下からは、猿を描いた絵がまた発見されました。

 送りつけられる指、殺人、現場に残されている猿の絵。強いメッセージ性が感じられます。

 捜査を進めるうち、この事件に関係する人々が、3年前に浅草で発生した交通事故に何らかの関わりがあるということがわかりました。その事故でも、人の命や指が失われるという痛ましい事態が起きています。 

 

 駒形橋には、隅田川に張り出す形で作られたかわいらしいバルコニーが存在します。この作品でも、高杉刑事がこのバルコニーをある重要な目的で利用しています。バルコニーは橋脚の上部を利用したものですが、橋のアクセントとして個性を発揮しています。

 

駒形どぜうと『どぜう、泣く』

 どじょうは夏が旬のさかなです。駒形橋の近くに、1801(享和元)年創業、どじょう鍋の老舗「駒形どぜう」があります。日本文化の香りが強く漂う店構えですので、すぐに分かります。昼時は長い行列ができますが、意外と回転は速い。入れ込み式の座敷も、さすが浅草といった印象です。なお、「どじょう」の歴史的仮名遣いは「どぢやう」です。うっかり間違ったわけではなく、ある理由からあえて「どぢやう」ではなく「どぜう」にしています。

 

 田口ランディの恋愛小説集『縁切り神社』(2001・平成13)の中の一編「どぜう、泣く」は、ここが舞台です。

 

 真夏、主人公の女性はインターネット仲間が顔を合わせるオフ会の会場に指定されたこの店を訪れました。彼女は半年前からパソコンでのチャットに熱中しています。ネット上では2歳サバを読んで28歳。既に結婚もしているのですが、男性からもてはやされ、いい気持ちになっています。オフ会に出席したのは、女性としての自分の魅力を確かめたく思ったからでした。

 

 ところが案内された部屋で、彼女は10年前の恋人に再会します。記憶から消えない相手でした。悪い記憶です。この上なく重要なある時に、男の放った一言は、彼女の心を深く傷つけました。

 以来、ずっと恨み続けてきた相手でした。それが今、隣の席に座っています。感情のたかぶりをやはり抑えることはできませんでした。しかし、男の口から彼女の気持ちをさらにかき乱す一言がまた発せられました。

 

 

バンダイと『ねじまき片想い』

 駒形どせうからほんの少し歩くと、有名なおもちゃメーカーバンダイのビルが見えてきます。入口付近にはバンダイが世に送り出したおもちゃキャラクターのオブジェがずらりと並んでいて壮観です。

 

 柚木麻子ほのぼのミステリー『ねじまき片想い』の主人公・富田宝子は、浅草にあるおもちゃメーカー「ローレライ」に勤める28歳の女性です。そのビルの周囲もローレライが作りだしたキャラクターのオブジェで取り囲まれているそうです。バンダイが思い浮かびますね。宝子はローレライの優秀なプランナーで、彼女のアイディアから沢山のヒット作品が生まれています。ただ、その外見からはそんな敏腕ぶりがうかがえません。少女的なファッションに身を包み、ふんわりとした雰囲気です。

 

 彼女には5年来片想いをしている男性があります。ローレライが契約している外注デザイナーの西島です。彼の住む古ぼけたマンションは隅田川沿いにあります。ある日、宝子は西島から、今までマンションから見えていた東京スカイツリーが見えなくなった、と愚痴をこぼされます。隣のマンションに給水タンクが設置されたからだそうです。スカイツリーを見られなくなった西島は「もう引っ越そうかっていうくらいのショック」だと言います。

 

 それを聞いた宝子はじっとしていられません。西島のためになんとかできないものかと、翌日の土曜日、そのマンションに向かいました。オートロック式でしたが、ある方法でまんまと中庭に入り込みます。そこで聞き込んだ結果、ちょっと妙な状況が判明しました。管理人はその貯水タンクが設置された理由をしらないと言うのです。「おそらく大家が独断で決めてしまった」のではないかという考えのようですが、その大家さんも現在長期旅行中だとか。なおかつ、別の所から得た情報だと、そのマンションは4階建て。その階数だと特に貯水タンクを設置する必要がないのだそうです。 

 

 並木薮蕎麦と『百物語の娘―泉―』

 駒形橋から浅草寺に向かう道(並木通り)に並木薮蕎麦があります。 倉阪鬼一郎のホラー小説「百物語の娘―泉―」(原題「泉」〈2002・平成14〉)に出てくる有名そば店です。休日の昼時には長蛇の列ができています。けっこう回転は速いようですが。

 

 弓田泉は、電車通学をしていた高校時代、何ともいやな思い出があります。「あれ」が車窓に映るのだそうです。とある寺院の屋根が電車の右側に見えるタイミングで起こります。見たくないと思っても、何か目に見えない力によってそちらを向かせられてしまうのです。ただ、その現象はやがて収まりました。

 泉は現在大学生。ミステリーやホラー、SFなどを対象とする文学サークルに所属しています。会長の秋月俊章に対し、彼女は淡い恋心を抱いています。

 

 泉は友人からの頼み事を果たすため、前述の寺院を訪れることになりました。用事を済ませ寺を後にした時、彼女はまた「あれ」の気配を感じます。

 彼女の中では現在、そばがマイブーム。梅雨の時期、1人で並木藪蕎麦に出かけました。もりそばを食べた泉は、その日の民俗学の講義で出た水についての話を思い出します。そばも水に縁がありますし、彼女の名前にも水に関係しています。水は物語全体にも大きく関わりそうです。

 

 夏の夜、サークルでは怪談を語り合う、百物語の会を行うことになりました。秋月も泉も出ます。百物語の作法に従ったルールも作り、準備は調いました。会場である旅館の部屋には人が集まりました。間もなく開始です。

 ……恐ろしい事態が待つとも知らずに。