九品仏・自由が丘の物語散歩です

 東急大井町線の九品仏駅をスタートし、自由が丘から碑文谷大岡山へと歩き、洗足池に出るコースです。もちろん全行程歩きです。このコースはまだ生徒を連れて行ってはいません。かなり歩く距離が長いので、物語散歩や街歩きに強い興味をお持ちでないと、かなり大変。保護者の方と一緒に歩きました。でもかなり面白い物語や風景がありますので、これから少しずつ充実させて、いつかは生徒を連れて歩きたいと思っています。下に示す地図は実際に歩いた時のものですので載せていませんが、今回のコース周辺では、等々力駅付近は乃南アサ『駆けこみ交番』の、碑文谷公園は加藤実秋「シン・アイス」の、学芸大学駅付近は殊能将之『ハサミ男』の、それぞれ関係地となっています。これらの物語の紹介については、どうぞ本文を御覧下さい。

 

九品仏駅と『凸凹デイズ』

 東急大井町線の九品仏駅はホームが4両分しかなく、電車の連結車両数によっては、発着時に等々力駅側の1両まるまるドアが開きません。

 山本幸久『凸凹デイズ』(2005・平成17)にも駅のその特徴が記されています。

 

 22歳の浦原凪海(うらはら・なみ)が勤めているのは、九品仏にある「凹組(ボコグミ)」というちっちゃなデザイン事務所。凹組のメンバーは凪海以外にはたった2人です。2人とも30代で身長190㌢近い大男、かつデブです。黒川と大滝と言います。請け負う仕事は和菓子店のパンフレットや郊外のスーパーのチラシ、ラーメン屋の看板などなど、正直しょぼいものばかりなので、凪海の収入も微々たるものです。

 そんな凹組に、ある時大きな仕事のチャンスが来ました。老舗遊園地のリニューアルに際し、ロゴとキャラクターのデザインを任せてもらえるかもしれません。もちろんライバルの事務所はありますから、コンペで勝つ必要があります。凪海は以前から描いていた2つのキャラクターを用いて勝負に出ました。

 コンペの結果が出たようです。待ち合わせの場所に出向いた凪海は、年上のキレイな女性と同席します。醐宮(ごみや)純子というこの女性、凹組と競合する事務所の社長でした。同席した大滝は醐宮を見て顔色を変えます。実はこの女性、以前凹組の一員だったのです。3人の間で何かがあり、醐宮は凹組を抜けることになったようです。 

 

 凪海や醐宮たちに告げられたコンペの結果は、ロゴに関しては醐宮の事務所に、キャラクターデザインについては凹組に、という奇妙なものでした。今後をスムースに進めるため、しばらく凪海は醐宮の事務所に出向します。醐宮はかなりなやり手で、社員から恐れられていました。毒のある言葉も平気で吐きます。でも、凪海は醐宮がそれほどイヤではありませんでした。言葉に嘘はないからです。ただ、凹組の2人は醐宮に対して大変否定的です。黒川に至っては「莫迦女」とののしります。一方の醐宮は凹組の2人を評価しています。黒川は天才肌、大滝は律儀で仕事が丁寧であると。

 3人に何があったのでしょうか。また、凪海は遊園地の仕事を成功裏に進められるでしょうか。

  

 凹組の事務所は、元は黒川の住んでいたアパートでした。九品仏駅を降りたら右に進んで商店街に出、環八に達する手前の路地を右に曲がり、小学校の前を過ぎてしばらく行ったところにあるという設定です。

 

 小学校というのは九品仏小学校でしょうか。他にも環八に面したロイヤルホストや商店街の環八寄りにあるパブ、相田みつをの言葉が店頭に書かれているラーメン屋が出てきます。どこまでが実在のものか、気になります。

 

九品仏・浄真寺と『爆殺予告』

 九品仏駅の「九品仏」とは駅の北すぐのところにある浄土宗の名刹・浄真寺の通称です。浄真寺は17世紀後半に開かれた歴史あるお寺。境内の三仏堂には計9体の阿弥陀如来像が安置されており、九品仏の名の由来となっています。境内は広く、天然記念物のカヤの木や、かつてこの地に存在していた奥沢城の名残を示す土塁遺跡など、建築、仏像以外にも見どころがたくさんあります。

 

 草野(そうの)唯雄のサスペンス『爆殺予告』(1973・昭和48)は成立は古いですが、物語散歩的観点からも楽しめる作品です。その中で幼児誘拐が行われるのがここ浄真寺の境内でした。

 

 誘拐されたのは守という五歳の男の子。万年筆会社の2代目社長・大江徳治(とくじ)の一人息子です。守の家は浄真寺に近い、等々力の閑静な屋敷町にあります。守は一人で遊ぶのが好きで、境内で誘拐された時も、近くに友人はいませんでした。

 犯人からの身代金要求の知らせが大江家にもたらされます。大江家の広い敷地の片隅からは時限装置とダイナマイトが発見されました。約束違反があった場合に子どもがどうなるかを思い知らせるための、犯人側の脅しです。

 やがてこの事件は警察の知るところとなり、多くの警察官が隠れ潜む中、身代金の受け渡しが行われることになりました。

 

 作品では、身代金の受け渡しが行われたその場所も浄真寺の境内に設定されています。その時、境内は人であふれていました。「二十五菩薩来迎会」という、3年に1度の大きな仏教行事の日だったからです。もちろん実際にも行われている行事です。「お面かぶり」とも呼ばれ、都の無形民俗文化財になっています。通常は8月16日に行われます。 

 

 

等々力渓谷と『駆けこみ交番』

 自由が丘に向かってしまう前に、逆方向の等々力駅付近にある等々力渓谷についてざっと。

 等々力渓谷は23区内唯一の渓谷として知られています。矢沢川の流域に広がる、長さ約1キロの遊歩道からの眺めはすばらしく、深山幽谷にいる気持ちになれます。

 

 乃南アサ『駆けこみ交番』(2005・平成17)の主人公・高木聖大も等々力渓谷を歩いていました。でも彼の場合は仕事。彼は等々力警察署の等々力不動前交番に勤務する新米警察官です。警官としての使命感はもちろんありますが、熱血タイプではなく、耳にはピアスの穴が開いていたりと、かなり現代の若者風です。この時彼は警ら中。すると彼に声を掛けた人物がいました。等々力渓谷の湧き水を汲んでいた品の良い老婦人で、聖大とは顔見知りです。

 

 後に聖大は、彼女の仲間を紹介されます。当の老婦人を合わせて計7人の男女グループです。みな老人ですが元気一杯。身につけた技術・技能をもとに社会参加をし続けている人たちでした。等々力での生活も長く、地域の情報が得られるので聖大はありがたく思いますが、何か秘密がありそうな雰囲気です。

 彼らは「とどろきセブン」というハンドルネームで聖大にメールをくれるようになります。時に重大な情報や示唆が含まれていて見過ごせません。

 

 赴任したての頃は、あまりに穏やかな地域の雰囲気に物足りなさを感じていた聖大ですが、次第にいくつかの、凶悪ではないもののかなり手強い「事件」に立ち会うことになりました。

 

九品仏川緑道と『はずれ姫』

 九品仏緑道を世田谷区奥沢の浄真寺裏から歩いてみましょう。車を気にせずに歩ける、歩行者に優しい道が続きます。自由が丘駅に近づくと次第に周囲の雰囲気が変わっていくのが面白いです。東急線の自由が丘駅付近には桜並木もあり、「グリーンストリート」とも呼ばれて親しまれています。

 

 長谷川純子「はずれ姫」(2006・平成18)の「俺」は、妻に無神経さをよく怒られるさえない男ですが、妻にも娘にも内緒の楽しみがあります。それは九品仏川緑道の桜を鑑賞すること。開花時よりも葉桜になった時の方がお気に入り。彼はその風情を女性にたとえて味わいます。「男の快楽」だと彼は言っています。

 自由が丘の街にお祭りがあった5月の土曜日、彼は妻子と緑道に来ました。彼は葉桜を見ているうちに無性に女性が欲しくなり、家族と離れて人込みを抜け出します。

 

 普段行かない道に名曲バーを見つけた彼は、何かに呼ばれたかのように入りました。その店にいたのは華やかな美人。先客も去り、店は2人きりです。女性はどうやら40歳過ぎらしく、彼とは同世代のようなので、話も弾みました。男性を喜ばせるような受け答えをする女性。その物言いの裏に哀しみのような何かがあると彼は感じました。

 彼はそれからよくこの店に通うようになります。2人の関係も深まっていきました。それはいつ行っても他の客がいない、という不思議に後押しされたかのようです。

 不思議と言えばまだあります。それは、女性がまとう雰囲気が次第に変化していくこと。また、10歳になる彼の娘の様子も以前と違ってきたように思われてなりません。 

 

自由が丘駅周辺と『ココロ・ドリップ』

 中村一『ココロ・ドリップ~自由が丘、カフェ六分儀で会いましょう~』(2014・平成26)は、自由が丘の街の中でも、より親しみが持てる場所を舞台として選んでくれています。

 

 カフェ六分儀は、駅近くに実在する熊野神社の、参道脇の路地にあるという設定。穏やかな微笑をたたえるマスターの祐天寺日高はコーヒーにこだわりがあり、自家焙煎のための部屋まで作られています。調理と経理の担当は綱島拓。作家でもあります。男性2人はともにアラサー。

 もう一つこの店に特徴的なのが壁面の飾り棚。棚の上には様々な物が統一感なく置かれています。気に入ったものを見つけたお客は、持ち帰ってかまいません。その品を、自分に対する見知らぬ誰かからの「贈り物」と考えるのです。持ち帰る人は、今度は自分が贈り主として、代わりの何かを棚に置いていくのが暗黙のルールです。

 このカフェでバイトをしている大学生・吉川知磨も当然この飾り棚のルールを知っています。彼女がこの棚の中で一番好きなのはかわいらしい模型の家でした。ただ、妙なことに棚に並ぶ物の中で、これだけにラッピングリボンが掛けられています。マスターによると、予約済み的なものであるとか。何か特別な事情があるように思われます。

 実は知磨もこの棚に一つ「贈り物」を置いています。これにもやはり特別な思いがこめられていました。

 

 小説で熊野神社以外の重要な場所として挙げられるのが自由が丘デパート。中に百ほどの店舗が入っていて、うち数軒は小説にも描写されています。カフェ六分儀が仕入れるコーヒー豆の店「春川珈琲」は、このデパートの1階にあることになっています。そのモデルとおぼしき店、発見できました。作者も来訪したそうです。お店のスタッフである春川綾香や瀬戸川純のモデルがいるかどうかまでは確認できませんでしたが。

 

目黒区八雲と『ケーキ王子の名推理』

 自由が丘駅から学園通りを通って目黒通りに出ます。目黒通りを渡ると、目黒区自由が丘2丁目だった地番が八雲3丁目に変わります。更に進むと桜並木の道に出会います。呑川緑道です。

 

 七月隆文『ケーキ王子の名推理(スペシャリテ)』(2015・平成27)では、この桜並木の近くに1軒のケーキ屋が設定されています。店名は「モンスールガトー」。ケーキの大好きな女子高生・有村未羽がこの店に来たのは全くの偶然でした。それは1月末、デートの日に自分のミスで失恋してしまうという痛恨の出来事があった後です。彼女は自由が丘でお目当ての店(モンサンクレール)をうっかり通り過ぎてしまい、歩いているうちにこの店に行き着きました。

 

 未羽は驚きました。その店で働いている男の子、未羽がよく知る人物だったからです。最上颯人(もがみ・はやと)。未羽と同じ高校に通う、人気ナンバーワンのイケメンでした。「王子」と呼ばれています。

 ただこの「王子」、女性に冷たいことでも有名でした。勇気を持って彼に近づこうとする女の子もいますが、全く無視、なのだそうです。

 彼は未羽が同じ高校であることを見抜きました。自分がここで働いていることを学校に言うなと猛烈な迫力で彼女に命じます。

 さらに未羽を驚かせることがありました。それは彼の観察力と洞察力の鋭さ。未羽がなぜこの店に行き着いたのかをズバリ言い当てました。

 この力はこの物語の中で十分に発揮されます。もちろんケーキ職人としての彼の力も非凡。物語を読む大きな楽しみとなっています。

 

 未羽が颯人の働く店を知ったきっかけの一つは坂道。長くまっすぐな下り坂は彼女を感動させます。描写通りの場所がないか探してみましょう。

 ありました。太鼓坂という名前の坂道です。坂の上からの眺望は、未羽に「非日常の絶景」とまで言わしめたそのまま。じっくりと味わいたいものです。

 

サレジオ教会と『別れの時まで』

 目黒通りに戻るため、「しどめ坂」という面白い名前の坂を上ります。歩道橋を渡り、少し西に戻ったところにあるY字路を左折します。東急東横線の踏切を渡ったあとしばらく歩きましょう。山門や本堂の美しい立源寺江戸時代の長屋門が残る旧名主屋敷、鉄飛坂近くにある帝釈堂など、見どころが多い道ですけれど、関係する物語を見つけていないのが大変に残念です。その後は北上する道を選び、環七通りを渡って、サレジオ教会に向かいましょう。

 

 都内には思わず立ち止まって見入ってしまうような宗教建築が多く存在します。目黒区碑文谷にあるサレジオ教会もその一つ。高い鐘楼を有する、奥行きのある建物で、その上品な美しさは周囲の風景ともよく調和しています。

    

 蓮見圭一『別れの時まで』(2011・平成23)の冒頭近くで、主人公の松永薫は、中学1年の娘・早紀と共にこのサレジオ教会に立ち寄っています

 彼は妻と死別したアラフォーの編集者です。家族をテーマに募集した手記をまとめている中で、30代半ばのシングルマザーが書いた一編に注目しました。9歳の息子との日常を描いた手記でした。

 入選作にふさわしい、そう考えた松永は、その女性・毛利伊都子に会うため、サレジオ教会の近くにある彼女の家を訪れます。

 伊都子は不在でしたが、隣人の永島から聞いた話によると、彼女は舞台女優だとのこと。この永島、松永の知る編集者の叔父にあたることが後にわかりますが、少々変わった人物のようです。

 後日会った伊都子は美しい女性でした。松永は心引かれ、やがて交際へと発展します。互いに子供を持っている男女の、大人の恋愛です。

 ただ、伊都子には謎がありました。息子の父親にあたる人物に関してです。松永がその人物について手記に加筆するよう助言すると、伊都子は拒否し、それなら入選を辞退するとまで言います。

 永島という人物も妙です。彼は松永の身内について、松永自身も知らなかった情報を持っていました。また、松永に接近して何かを聞き出そうとする男たちも現れます。彼らの意図は何でしょうか。

 

 碑文谷には他に、名前が可愛いすずめのお宿緑地公園、碑文谷の名前の起こりとなった碑文石がある碑文谷八幡宮、23区最古の木造建築の円融寺など、見所が多いエリアです。立会川緑道もあります。

 

碑文谷公園と『ホワイトクロウ』

サレジオ教会を見た後は、少し足をのばしましょう。目黒通りをまた渡って、碑文谷公園に入ります。池がありますね。「三谷の池」とも呼ばれていたそうで、立会川の水源でした。江戸時代には将軍の狩場でもあったとのこと。その後は水田かんがいの重要な水源として大切にされていた旨が案内標示に書かれています。

 

池は「弁天池」とも呼ばれるのは、池の中島にある厳島神社に弁財天像が祀られているからでしょう。 

 

 この公園は、加藤実秋の人気作『インディゴの夜』シリーズの第3巻『ホワイトクロウ』(2008・平成20)の中で舞台として描かれています。「シン・アイス」の章です。

 

 『インディゴ』というのは、渋谷にあるホストクラブの名前です。ちょっと変わったホストクラブで、ホストたちは服装もかなりカジュアル。超人気ホストの1人である「犬マン」がこの章の主役です。ファッションセンスが抜群で、本名は「マサル」。彼の自宅は、この碑文谷公園から徒歩5分ほどのマンションの12階にあります。かなり立派な部屋のようです。

 彼は仕事帰りに碑文谷公園に立ち寄って一服するのが習慣でした。公園での顔見知りもいます。「タクミ」という青年。彼らは名前以外、相手のことを何も知りませんでしたが、タクミは実はホームレスでした。なぜそれが分かったかというと、ホームレスの1人がこの公園で死んでいたからです。厳島神社脇の茂みでした。死体を見つけたのが彼ら。どうやら他殺のようです。

 死んでいたホームレスはタクミも知っている人物。ただ、かなり素行が悪い男でした。疑われたのがホームレスのリーダー格だった「アキオ」でした。タクミはアキオが殺人などする人間ではないと信じています。なんとか彼の疑いを晴らしたく思ったタクミは、「犬マン」ことマサルに協力を求めました。

 

学芸大学駅周辺と『ハサミ男』

碑文谷公園まで来ると、東急東横線の学芸大学駅はもうすぐそこです。この駅は目黒区鷹番という、かなり興味深い地名の中に存在しています。先の目黒区のHPでは、この地名の由来について、この辺りに「鷹場の監視に当たる鷹場番所があった」から、などの説を記しています。

 

 殊能将之(しゅのうまさゆき)の『ハサミ男』(1999・平成11)で、殺人事件が発生するのは、この学芸大学駅の近くです。

 

 猟奇的な殺人事件が都内で2件発生していました。被害者は2人とも女子高生。凶器は共に、咽喉部に刺さったハサミです。マスコミは正体不明のこの殺人犯を「ハサミ男」と呼び、さかんに報道しました。そしてここに、その「ハサミ男」である「わたし」が登場します。自称「でぶのフリーター」。

 

 「わたし」は既に3人目の犠牲者となるべき人物を見つけていました。鷹番に住む女子高生の樽宮由紀子です。「わたし」は学芸大学駅で下車して、彼女の住むマンションへ行く道を確認し、実行に向けての準備を進めていきます。

 

 猟奇的殺人犯「ハサミ男」は、自殺願望を持つ人間でした。様々な方法で自らの命を絶とうと試みるものの、その度に失敗。謎の人物「医師」にばかにされます。

 新しいハサミをバッグにしのばせ、殺害の機会を狙う「わたし」は11月11日、学芸大学駅付近で由紀子の帰宅を待ちますが、なかなか帰って来ません。マンション前に移動して待つうちに午後9時をまわってしまいます。あきらめて戻る途中の公園で、目を疑うものを発見しました。首にハサミを突き立てられて死んでいる由紀子の姿です。

 まずいことに、その場に別の人間が近づき、声をかけてきました。逃げると怪しまれますから、死体の第一発見者とならざるを得なくなります。しかし今、自分のバッグにはハサミが入っています。もしそれがばれると我が身が危なくなる……。

 

 謎が満載のミステリー。一見普通に見える人の心に潜む闇を考えさせる作品です。

 

円融寺と「碑文谷巷説」

 道を戻りましょう。目黒通りを渡り、サレジオ教会をもう一度見て、碑文谷八幡の前を左折します。立会川緑道を少し歩き、大門橋という標柱の立つ場所で左を見ると、その先にいかにも寺院らしい建築が見えます。円融寺です。

 

 山門をくぐって階段を上ると視界が開け、仁王門釈迦堂が視界に入ってきます。目を奪われるような、実に素晴らしい建築です。

 この釈迦堂は室町時代初期に建てられたもので、23区内では最も古い木造建築だとのこと。国指定の重要文化財です。仁王門は区指定の文化財、仁王門に安置されている木造金剛力士像は1559(永禄2)年に作られた東京都指定の文化財だそうです。時間を忘れて見入ってしまいますね。

 

 田中貢太郎の時代小説「碑文谷巷説」にこの円融寺が描かれています。時は幕末の文久3(1863)年。薩英戦争があった年です。生麦事件の翌年にあたります。

 

 主人公の名は伝八郎。年のころは20代の半ば、浪人か博徒か、といった風情です。この人物、実は心根のあまりよろしからぬ人物です。ある日、たまたま前を通った円融寺の境内では、縁日が行われていました。娘軽業師の小屋に好奇心を刺激されて入ったところ、中にいた芸人の女に彼は興味を引かれました。

 蕎麦屋でしばらく時を過ごした伝八郎は、小屋をしまって帰る軽業師の一行のあとをつけます。力ずくででも女をものにしようという魂胆です。……伝八郎が予想していたよりもかなり遠くまで移動するようです。もう彼には方角すらわからなくなってきました。やがて着いたところは、なんだか墓地のように思われます。さて……?

 

大岡山駅周辺と『夕ばえ作戦』

 さあ、次に目指すは大岡山。駅の北に清水窪弁財天という社があります。「清水窪」という名に心ひかれます。その名の通り、弁天様は周囲からかなり低くなった場所にまつられており、崖から水が小さな滝となって池に注いでいました。

 

 光瀬龍『夕ばえ作戦』(1967・昭和42)は、今読んでも痛快なSFですが、大岡山周辺を主な舞台にしています。新しい町名に変更される前の旧町名で記されていることにも探求心が刺激されます。その中に出る弁天の社は、場所の描写が清水窪弁財天と一致します。

 

 大岡山の中学校に通う砂塚茂は、古道具屋で正体不明の円筒形の機械を買いました。実はこの機械、タイムマシンでした。つまみを回したことで、茂は江戸時代にタイムスリップしてしまいます。当時の荏原村、周囲は一面の雑木林です。

 茂はたちまち怪しまれてしまいます。幕府に恨みを持ち、村を荒らし回っていた風魔一族と誤解されるのです。誤解はまもなく解けました。茂は忍びの術を使う風魔の被害に悩む代官に味方し、彼らを退治する決意をしました。

 

 タイムマシンでもとの時代に戻る方法がわかった茂は、風魔攻撃に効果がありそうな物を江戸時代に持って行き、彼らに痛手を与えます。茂は運動能力抜群の少年です。白兵戦でも負けません。

 困った事態が起きました。茂はちょっとしたミスから担任の女性教師・高尾先生を江戸時代に連れてきてしまいますが、彼女を風魔に奪われたのです。風魔の頭領・小太郎は、形勢逆転を狙い、茂たちの陣に近い弁天の社に移って機会を窺います。

 

 前述の滝は残念ながら自然のものではないそうです。ただ、弁財天の池端には「東京の名湧水57選」の碑が立ち、かつては豊富な湧水があったことをうかがわせます。現在、池からの水の流れは暗きょとなっていて、たどると洗足池に行き着きます。

 

洗足池と『眠る骨』

 さて、その洗足池です。地名は「千束」、池は「洗足池」。不思議ですね。

 池も元は「千束池」だったそうです。のち、日蓮がこの地に立ち寄り、池の水で手足を洗ったということから、「洗足」の表記が使われるようになったとか。

 

 桐生典子『眠る骨』(2004・平成16)の中でも、この伝承が紹介されています。登場人物の1人、大澤克己は洗足池の周囲をよくジョギングしているので、自然に池の知識が増えたのでしょう。一緒に歩いていた萩原(旧姓・二宮)早紀に教えてあげています。

 

 2人は八ヶ岳連峰を望む中学の同級生であり、初恋の相手でもあります。その初恋はやがて早紀の転校によって終わりを告げました。

 その後2人が再会したのは25年後のこと。早紀は結婚して姓が変わっています。子供はいません。夫は穏やかな人柄ですが、すでに寝室を別にしています。大澤も離婚や経営した会社の倒産など、苦い人生経験をしていました。

 再会後の2人がまた恋におちるまではあっという間でした。流れ去った時を取り戻そうとするように、密会を重ねていきます。大澤が洗足池の言い伝えを早紀に教えたのも、そんな時の話でした。

 桜の時期にまた来よう、そう約束した2人です。しかし、早紀は心のどこかに今後への恐れを抱いている自分に気づきます。それが現実のものとなってしまいました。大澤に連絡がとれなくなったからです。

 不安を感じる早紀。1ヶ月半後、ようやく大澤から連絡がありました。交通事故で入院していたのだと言います。彼は八ヶ岳山麓にある森に行こうと早紀を誘いました。その森は2人にとって思い出の場所。森の中にそびえる老木の洞で、2人は初めてのキスを交わしました。事故に遭った身で、山歩きなどできるのか。早紀は気になります。

 

洗足池とその成立伝説

 洗足池の成り立ちについて、「ダイダラボッチ」という巨人に関する面白い伝説があります。

 

 『大田区史』によると、昔、ダイダラボッチという大男が千束周辺(現南・北千束)で杖をつきふんばって小便をしたのだそうです。右足をふんばって盛り上がったところが摺鉢山(東急の大岡山駅付近)、左足でくぼんだところが狢(むじな)窪(千束の小字名で現北千束二丁目付近)になり、杖をついた穴が小池(洗足池の南東にあります)になりました。洗足池はダイダラボッチの小便がたまったものだそうです。面白いですね。

 

 京王線に代田橋という駅がありますが、この「ダイタ」というのもダイダラボッチから来ているのだそうです。これは柳田国男「ダイダラ坊の足跡」(1947・昭和2)に載っている話です。柳田は、代田付近を散策し、右足の足跡と目される大きな窪みを見つけたと記しています。長さは約100間(けん)(約181.8㍍)もあったそうです。 

 

名馬・池月(生食・いけづき)

 洗足池は広重の浮世絵にも描かれた歴史ある景勝地。周囲には見どころも数多くありますが、池の脇にある、源頼朝お気に入りの名馬・池月の像は興味深いです。

 

 安房から鎌倉に向かう途中の頼朝が池畔の千束八幡宮で休憩していると、現れたのがみるからにたくましい野馬。青い毛並にはところどころ白い斑点が浮かんでいます。池に映る月影のようであったため、頼朝はその馬に池月という名を付けて飼い慣らし、大事にしました。

 

 

 ところで、わが千葉県にも柏近辺に池月伝説があります。昔、その一帯には多くの野馬がいました。中でも特にたくましいと評判だったのが池月と呼ばれた1頭で、地元の領主から源頼朝へ献上されました。後年老いた池月は頼朝の計らいで故郷の小金ヶ原に帰されそこで死にました。村人は塚を築いて池月を埋葬します。その場所は「高塚」と呼ばれました。また、野馬を呼び集めるのがうまい若者がおり、彼が池月や他の馬を呼んだという小高い丘の辺りは「呼塚」(よばづか)と称されるようになりました。「高塚」は松戸市に、「呼塚」は柏市に、それぞれ地名として今も残っています。(柏市のサイトより)

 

名馬・磨墨(するすみ)

 頼朝はもう一頭、磨墨という名前の名馬を持っていました。名前の通り、真っ黒な馬だったのでしょう。この磨墨の墓と言われるものが大田区の南馬込というところにあります。近くの萬福寺には磨墨の像もあります。ちなみにこの磨墨が生まれたのはどこかというと、これまた今の千葉県だったという伝説が残っています。夷隅郡だったり鴨川市だったり、説はまちまちですが、面白いですね。

 

 この池月と磨墨は、『平家物語』の「宇治川の先陣」を語る上では、欠かせない役回りを持っています。