面影橋周辺の物語散歩です。

(物語周辺文学散歩)

再び『世界、それはすべて君のせい』

鬼子母神の参道を歩きます。都営荒川線の踏切を再び越え、そのまま道なりに歩くと、やがて目白通りに行き着きます。左に曲がって少し進み、右手の小さな道に入ります。道はクランク状になって下っていきますが、いきなり視界が開けます。目の前が更地になっているためです。この更地、先ほど紹介したくらゆいあゆ『世界、それはすべて君のせい』で描かれる場所でした。

 

 主人公の咲原貴希が村瀬真葉を連れて雑司が谷周辺を案内しますが、彼女にぜひみてもらいたい場所の1つがここでした。期待通り、真葉も感動してくれました。

 

 何しろいつ人家が建ってもおかしくないですから、期間限定の風景です。今回はまだ見られました。

 

 この作品の表紙絵は、ここから見た風景をもとに描かれていますので、そちらもじっくりと見てみてください。

 

目白不動(金乗院)と高田崇史『神の時空』

 江戸五色不動の1つである目白不動尊をまつるお寺がありますので行ってみましょう。神霊山金乗院(こんじょういん)と言い、真言宗(豊山派)の寺院です。不動尊は本堂横のひときわ高いところにある不動堂に祀られていますね。元々この不動尊は新長谷寺(しんちょうこくじ)という別の寺院にあったものですが、戦後すぐに廃寺になった関係で、こちらに移りました。

 江戸五色不動というのは、現在の東京にある、目黒・目白・目赤・目青・目黄の不動尊のことです。目黒不動は目黒区下目黒の瀧泉寺にあり、目赤不動は文京区本駒込の南谷寺に、目青不動は世田谷区太子堂の教学院にあります。目黄不動だけはなぜか2箇所にあり、台東区三ノ輪の永久寺と江戸川区平井の最勝寺に存在しています。五行思想に由来するものとされますが、よくわかっていない部分が多くあります。逆にそのために人の調査意欲や創作意欲をかき立てられることもあるのかもしれませんね。高田崇史のミステリー『神の時空(とき)』シリーズの第7作『五色不動の猛火』(2016・平成28)もきっとそうでしょう。

 

 ある晩、東京で不審火による火災が3件、連続して発生しました。世田谷区三軒茶屋で、豊島区駒込で、江戸川区平井で。死者も出ていて、連続放火殺人事件と考えられます。

 物語の中心人物は清和源氏の血を引くという辻曲(つじまがり)家の4兄妹。先祖にはシャーマン的能力を有した者がいて、彼らも霊感を持っています。長女・彩音(あやね)はこの連続放火事件について、「江戸五色不動を狙ってる」と看破しました。

 翌日また火災が発生しました。都電荒川線学習院下停留場付近の一軒家でした。犠牲者が出ています。学習院下と言えば金乗院の近くです。目白不動尊は大丈夫でしょうか。 

 

五色不動と中井英夫『虚無への供物』

 高校生では知っている人も少ないと思いますが、高田崇史さんのかなり前にも、ミステリーの中で五色不動に言及している作品があります。中井英夫『虚無への供物』(1964・昭和39)と言います。

 

 『五色不動の猛火』でも巻頭言にその一節が引用されています。作品中で事件を捜査する警視庁捜査一課の巡査が「古い推理小説」の中に書かれていたことで五色不動を知った旨の発言をしています。これもおそらく『虚無への供物』のことでしょう。

 

 

 『虚無へ供物』では、豊島区目白2丁目に設定されている氷沼(ひぬま)邸で殺人事件が発生しています。目白不動も出てきますが、描写はごく少なく、台東区三ノ輪の永久寺に安置されている目黄不動尊の方がよほどしっかり記されています。『五色不動の猛火』の巻頭言にひかれた一節も永久寺での場面のものです。

 

南蔵院と『怪談乳房榎』

  金乗院を出て南下します。道が右にカーブするところにお寺が見えます。南蔵院という、真言宗の寺院です。寺伝では、室町時代の開基だということです。

 ここは三遊亭円朝作の「怪談乳房榎」の舞台の一つとして、設定されている場所です。

 

 三遊亭円朝は明治期に活躍した落語家。自身で考えた噺は速記本の形で出版され、全国に普及して愛読されました。その文体は、二葉亭四迷の小説「浮雲」をはじめとする言文一致運動に大きな影響を与えました。

 

 「怪談乳房榎」は、ここ高田の地の他、柳島や新宿十二社(じゅうにそう)、板橋の赤塚を舞台にする、場所的に広がりをもった話です。

 主な登場人物は、もと武士で今は狩野派の絵師である菱川重信とその妻「おきせ」、一子・真与太郎、そして「おきせ」に横恋慕し、邪悪な心を持って重信に接近する磯貝浪江。浪江は「おきせ」ほしさに重信の下男正介を語らい、重信を殺し、真与太郎までも殺させようとします。

 

山吹の里 

 神田川に架かる面影橋を渡ります。端の近くに、江戸城を築いたことでも知られる中世の武将・太田道灌と少女との伝説を伝える「山吹の里」の碑が建っています。碑の立っている後ろ側は、再開発のための工事中。碑も何だかおちつかないたたずまいです。

 

  太田道灌持資は、かつては歌道にうとい、無骨一辺倒の武将でした。江戸在住の頃、ある日鷹狩りに出かけましたが、途中でにわか雨に降られました。

 これはまずい、と、彼は近くの農家に駆け込んで、雨具の簑を借りようとします。すると出てきた少女は、咲いていた山吹の花を一枝折り、道灌に捧げました。彼女は一言も発せず、もちろん雨具も差し出しません。怒った道灌は屋敷に帰り、近臣に事のありさまを語りました。すると中の1人が進み出て言うには、「それは簑がないということでしょう。古い和歌に

  七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞわびしき

 

 というものがあります。この歌の『実の』を『簑』に掛けたものと思われます。雨具の一つもない貧しさを口にするのは辛いもの。この歌を出せば、御武家様なら必ずわかってくれるにちがいないと考えたのではないでしょうか。」それを聞いた道灌は深く恥じ入り、そののちは和道を深く学んだということです。

 以上、江戸時代中期成立の『常山紀談』に載っている話を元にして紹介しました。もっとも、この話では、この場所については全く語られていませんが。

 この伝説は広く知られているもので、その少女の家のあった場所は「山吹の里」とも呼ばれるようになります。それが一体どこにあったかで、さまざまな説が展開されています。その一つがここ。

 

面影橋と於戸姫伝説

 面影橋は別名を「姿見の橋」といいます。ですが、古来この別名については異論が多く、昔、この橋の北側にあったという、もう一つの小さな橋の名前だという説もあり、確証をみません。趣のある名前なので、それにまつわる伝説もあります。

 

 明応年中(1492~1501)のこと。この里に於戸姫(おとひめ)という娘がいました。和田靱負佐守祐という侍の娘です。容色がすぐれているので結婚を求める者も多くいました。たまたま父が所用で他国に外出中、近所の者が仲間とかたらって、家を襲い、娘を奪い取って逃げました。しかし、板橋のあたりで娘が息も絶え絶えになったため、そこに捨てて逃げてしまいました。ちょうどそこに、杉山三郎左衛門という貧しい老人が妻と一緒に通り掛かり、娘を助けて養育しました。娘はその後、小川左衛門次郎義治という侍の妻になりましたが、その侍の友人・村山三郎武範に横恋慕され、夫を殺されてしまいます。姫は長刀で村山と戦い、村山の右足を切りました。そこに従者が加わって見事夫の仇をうちます。彼女は悲しみに耐えず、髪を切り、夜にまぎれて家を出、この川辺に来て、

  変わりぬる姿見よとや行く水にうつす鏡の影にうらめし

と詠みました。また、出る月を見て、

  限りあれば月も今宵は出でにけり昨日見し人今はなき世に

の歌を詠み、川に身を投じて死んだといいます。

 

 この話の出典は18世紀半ばに書かれた『南向茶話』という随筆です。筆者は酒井忠昌。筆者はこのあたりに住んでいた古老の記しおいた書でこの話を見たとしています。「於戸姫」が詠んだ歌によって、ここを「姿見橋」と名付けたとのこと。筆者の酒井忠昌は、上の伝説に示されている人名について、他の書物で見たことがないと記した上で「信用しがたしといへども、暫く其説を載する而已(のみ)」と記しています。

 

 なお、『南向茶話』のこの伝説や、「面影橋・姿見橋は同一の橋か否か」という問題については、小池壮彦『東京の幽霊事件』(2019・平成31)に大変詳しい論考が載っていますので、興味ある人はぜひ見てください。

 

面影橋と原田マハ「無用の人」

 面影橋の架かる神田川には桜が並木となっていて、満開時は大変に綺麗です。もっとも今年(2021年)は花見を楽しむわけにはいきませんが。

 さて物語に話を移します。桜が満開の神田川で、面影橋の真ん中にたたずみ、放心したように空を、川面を眺める女性の姿がありました。原田マハ「無用の人」(『あなたは、だれかの大切な人』所収・2014)の主人公の「私」です。

 美術館の学芸員として働く「私」は50歳の誕生日を迎えました。その日に届くように指定された宅配便が来ました。送り元は彼女の父親でした。でも彼はⅠヵ月ほど前に亡くなっています。出世することもなく、妻(=「私」の母)とも離婚して、そして、亡くなった人。「私」の母は父を「無能の人」だと言いました。でも父親は「私」の進路に影響を与えた人でもありました。

 宅配便の送付伝票には「新宿区西早稲田」から、だとあります。「私」はその街に行ってみることにしました。JRから都電に乗り換えて面影橋停留場をめざします。都電に乗るのは彼女にとって初体験でした。やがて電車は神田川を渡り、大きく左手にカーブします。満開の桜花を見つけた小さい女の子が思わず声を上げました。

 

 彼女の元に届いた父親からの贈り物が何だったのか、西早稲田の街は父親にとってどのようなもので、彼女はそこで何に出会うのか。ぜひ本文を読んでください。

 

水神社と甘泉園庭園そして再び『怪異トキドキあたる』

 今日のゴールはここになります。水神社は10世紀半ばに勧請されたという古社で、祭神は倉稲魂(ウカノミタマ)大神ほか2柱。1958(昭和33)年に現在の早稲田大学9号館裏近くから今の場所に遷りました。甘泉園庭園は、江戸中期に徳川御三卿の1つである清水家の下屋敷があった場所です。名称からもかつて豊富で清らかな湧き水があったことがうかがえます。

 ここは雑司が谷宣教師館のところで紹介した『怪異トキドキあたる』第三話「思い憑くモノ」のラストに描かれる場所です。ラストなので当然物語のキモに関係しますから、詳しくは紹介できないのが残念。

 

 「霧島物ノ怪研究所」に依頼をしてきたのは西東京にある私立前園学園高等部の校長と教頭。彼らの学校のあるクラスでは、半年前から「こっくりさん」がはやりだしたのだそうです。すると、それをやった後に倒れて保健室行きになる生徒が続出。目覚めるまでに1日かかる生徒も出るとか。一時期全校に広がったこの流行ですが、現在深刻な事態になっているのは2年生の1クラスであるとのこと。

 

 その学校を訪れた霧島仁と沢井結羽。詳しいことがわかってきました。「こっくりさん」に未来を占ってもらうと、50~70%の高確率で的中するらしい。また、テスト問題の正解を教えたり、宝くじで生徒に数万円の当たりをださせたりしたこともあるといいます。ところがその代償でしょうか、それをやった直後に過度の貧血やめまい、はては失神まで起こす生徒が次第に出てきました。学年主任が生徒たちに「こっくりさん」をやめるように指導したところ、ある生徒がその教員に「呪われてしまえばいい!」と叫びました。するとその学年主任先生はその夜突如錯乱して病院に運ばれてしまったそうです。いったい何が起こっているというのでしょうか。