荒木町・舟町・須賀町散歩です。

曙橋

 集合場所の曙橋駅を出て、地上に上がると、そこは靖国通りです。東京マラソンのコースにもなっている道ですね。この通りを右に行くと、市ヶ谷、左に行くと新宿です。右手を見ると、靖国通りを横切って架かっている陸橋が見えることと思います。これが駅の名前にもなっている曙橋です。戦後初めてできた陸橋です。

 地形的には我々が立っている場所が谷に相当し、橋のたもとが高台になっている訳ですね。曙橋は外苑東通りが靖国通りをまたぐ、その場所に架かっています。曙橋の東北側は市谷本村町、防衛省や警視庁の施設があります。

 防衛省の施設と言いましたが、以前は自衛隊の市谷駐屯地でした。今日は2020年11月23日。今からちょうど50年前の11月25日に、作家・三島由紀夫がここで割腹自殺をしました。「三島事件」と呼ばれています。三島由紀夫生誕の地もここから意外と近いところにあります。

 

荒木町と『地層捜査

一方、曙橋の南には荒木町という、かつて花街として賑わっていた街があります。高低差に富んだ町です。

 住友不動産四谷ビル前に、この町に関する説明表示がありました。

 

当敷地を含むこの周辺の地域は、江戸時代に美濃高須藩主(現在の岐阜県)松平摂津守の屋敷があった場所であります。当時の敷地には玉川上水から引き込んで造った大きな池があり、現在もその一部が敷地西側に「かっぱ池」として残っています。明治時代には屋敷が退き、池や庭園が一般公開され景勝地となりました。(後略)」

 

 その荒木町で起きた殺人事件を追う刑事の粘り強い捜査を描くのが、佐々木譲(ささき・じょう)『地層捜査』(2012・平成24)です。

 1995(平成7)年10月23日夜のことでした。殺害されたのは荒木町に建つアパートのオーナー。杉原光子という70歳の独身女性です。捜査は難航を極め、捜査本部も解散しました。しかし、殺人事件の時効廃止により、再調査の命が下ります。担当することになったのが水戸部裕(みとべ・ゆたか)という34歳の刑事です。対策室は市谷本村町の警視庁第四方面本部の中に置かれたので、物語の中で彼は曙橋を何度も渡っています。

 

 被害女性・杉原光子の死因は腹部への刺し傷による失血。光子はかつて小鈴という名の芸妓でした。その後独立して芸者の置屋(芸妓を抱えておく店)を開業し、置屋を廃業してからは建物をアパートに改築、家賃収入で生活していました。土地の売却をめぐるトラブルの可能性も考えられましたが、結局捜査は行き詰まったままとなっていました。水戸部は荒木町の今昔には詳しくありません。相談役として彼に同行することとなった元刑事の加納は四谷(若葉1丁目)の出身で土地勘があります。加納や荒木町で店を開く人々から街の情報を得ていき、しだいに彼は一つの可能性に目を向けていきます。

荒木町と『あまからカルテット』

 荒木町が描かれる小説をもう一つ紹介します。柚木麻子(ゆずき・あさこ)『あまからカルテット』(2011・平成23)です。中学時代からの仲良しアラサー女性4人の話で、章ごとに中心人物が変わります。「はにかむ甘食」では、素人料理のブログから次第に人気が出て、料理本を出すまでになった深沢由香子(ふかざわ・ゆかこ)が主人公。ネットの掲示板に並んだ、自分への批判を見てショックを受け、引きこもってしまいました。レシピが全て他からのパクリだという批判が特に彼女を落ち込ませます。彼女自慢の甘食も、少女の頃に食べた思い出の味が元になっていました。親友3人は、その思い出を手がかりに、彼女の思い出の甘食を作ってくれた人を探そうとします。どうやらその場所は荒木町のようです。3人にとって初めて訪れる場所。街の雰囲気を大いに気に入り、はしゃぎながら歩いていきます。人捜しの手がかり、うまく得られるでしょうか。

舟町と『新宿もののけ図書館利用案内』

 荒木町と外苑東通り(画像)を挟んだ向かいに舟町というエリアがあります。ここが舞台になっているのが峰守ひろかず『新宿もののけ図書館利用案内』(2019・平成31)です。

 

 物語の冒頭で、地下鉄丸ノ内線四谷三丁目駅で下車し、外苑東通りを北上する女性の姿が描かれています。26歳の末花詞織(すえはな・しおり)は、都内某図書館の臨時職員でしたが、人件費削減によりお払い箱。新宿区内の図書館で司書を募集していると知り、採用面接に向かっています。面接の約束時間は午後の11時という指定です。

 

 時刻が遅いのも道理、そこは妖怪が運営する図書館でした。場所は新宿区の舟町にあります。ただ、通常の方法では行き着くことができません。図書館の名前を「新宿本姫(ほんひめ)図書館」と言います。

 

 この図書館については新宿に残る伝説をうまく踏まえて設定されていますので、少し紹介させてください。

「本姫」というのは舟町の全勝寺(画像)に関する伝承に名前が出る女性。読書好きのお姫様だったようで、新宿区教育委員会の『新宿の伝説と口碑』(1968)などによれば、亡くなった後、墓前には多種多様な本を収めた蔵(文献によってはお堂)ができ、その中の書籍は人々に無料で貸し出されたそうです。今の図書館のような仕組みですね。

 詞織が面接に訪れた図書館は、本姫のその蔵を前身としているところでした。現在では妖怪ばかりがそこを利用しています。本姫ではなく、館長代理かつ唯一の正規職員として「牛込山伏町(うしごめやまぶしちょう)カイル」という男性が図書館の業務一切を行っています。正真正銘の人間である詞織はカイルから事情を聞き、間違ったところに来てしまったと恐れます。ただ、図書館では経験のある司書がほしい、詞織は司書の仕事が欲しい、ということで、とりあえず試用期間として4ヶ月働くことになりました。

 好評につき続編(『新宿もののけ図書館利用案内2』)も出ています。続編の第三話にはその「本姫」さまが登場しています。姫は新宿に住んでいた「先生」から自著を寄贈してもらったことがあるのだそうです。それは「ふわっとしていて怪しくて奇妙で」「懐かしさもある」小説。もう一度読みたくなったと姫は言います。詞織とカイルはその本を捜そうとします。さて、その「先生」とは誰のことでしょう。捜索の過程で三栄町の新宿歴史博物館に主人公立ちは訪れていますので寄ってみましょうね。ただ、このような状況下ですので、中には入りません。

四谷三丁目の交差点近くのビル3階に、あおい書店という本屋さんがあります。午後11時までやっているという、遅く帰る人にはとてもありがたい書店です。この本屋さんがモデルと思われる店が『新宿もののけ図書館利用案内2』に描かれています(第三話)。小説の中の本屋はビルの2階にあることになっていますが、閉店時間やビルの1階がスーパーになっていることなど、明らかにモデルはここ、と思わせます。詞織は週に1,2度、ここを利用するそうです。仕事の前にざっと見て回るのにちょうど良い規模の本屋さん、というのが彼女の感想です。ある日、店から歩道に出た詞織は、スーパーから出て来た1人の女の人とぶつかってしまいました。

交差点と「四谷三丁目の幽霊」

四谷三丁目の交差点といえば、蘇部健一の小説「四谷三丁目の幽霊」(『小説X あなたをずっと、さがしてた』2018所収)が思い出されます。小説の終盤、重要な展開において、この場所が舞台となります。

 主人公は2人の若い男女。後藤孝史(ごとう・たかし)は会社員、長井楓(ながい・かえで)は四谷にある大学(上智大学でしょうか)の学生です。1月下旬のある日、2人は同じビルの軒下で雨宿りをしました。2人とも傘を持って出たはずでしたが、なぜかバッグの中には傘ではなく、別の妙なものが入っており、仕方なくそこで雨宿りをした、というわけです。

 何気なく相手に目を向けた2人。そのタイミングが一致し、2人の目が合います。あわてて目をそらしましたが、どうやらお互い、相手が「ストライク」だったようです。でも2人とも奥手なのが好ましい感じ。さて、この後どういう展開になって、四谷三丁目交差点が出てくることになるのか。楽しいです。ぜひお読みください。

須賀神社

 新宿通りに出て、さらに南下しましょう。映画「君の名は。」で「聖地」となった須賀神社を訪れようと思います。四谷の総鎮守で、主祭神はスサノオノミコトとウカノミタマノミコトの2柱です。1836(天保7)年に完成し奉納された三十六歌仙絵が社殿内に掲げられていて、区指定の有形文化財となっています。ここでは映画とは別の物語で散歩することにします。内山純(うちやま・じゅん)『ツノハズ・ホーム賃貸二課にお任せを』(2017・平成29)です。

 株式会社ツノハズ・ホームは約300名の社員を有する業績好調な会社で、本社は西新宿にあります。そこに勤める澤村(さわむら)は2年前に総務部から賃貸営業部に回りました。彼は嘘が苦手なので営業トークがヘタです。彼の仕事上のパートナーとして新しく配属されたのが入社4年目の美人社員・神崎(かんざき)くらら。仕事がこの上なく速く、無尽蔵の体力の持ち主でした。後輩ながら先輩の澤村をこきつかう神崎くらら。彼はこっそり神崎くららにデビルというあだ名を付けます。

 

 澤村の数少ない顧客の1人に、70代のおだやかな女性・山本マサさんがいます。荒木町にある木造2階建てのアパートのオーナーです。神崎くららもそつなくマサさんと仲良くなり、彼女に付き合って須賀神社にお参りに行ったりしています。そのマサさんのアパートで部屋がひとつ空いたようだ、という情報が神崎からもたらされました。澤村にとっては全く知らない、連絡を受けていない内容でした。マサさんに電話をしてみると、確かに1部屋空きが出たとのこと。2階には以前から1部屋空きがあり、これで空き部屋は2つになりました。それらの募集をどうするのかと聞いてみると、澤村に頼むつもりはない、と言われてしまいました。別の仲介業者に仕事をさらわれてしまったのかと、彼は大変に落ち込みます。ただ、神崎くららの収集してきた情報によれば、少々気になる点がいくつかありました。

闇坂と『風のアジテーション』

 寺社が多く存在するエリアです。ここまで来たからにはもう少し歩を進めてみたくなります。南に下る細い坂道がありました。行ってみると、坂の途中から、向こうにそびえる巨大な建物によって日が遮られ、急に暗くなってしまいました。坂の名前を闇(くらやみ)坂と言うそうです。雰囲気によく合致している坂名だと感じました。

 

 物語の最初にこの坂が描かれるのが橘川幸夫(きっかわ・ゆきお)『風のアジテーション』(2004・平成16)です。1960年代における新宿周辺の具体的な描写が豊富な作品です。実在する(実在した)店や施設も多く紹介されています。冒頭に闇坂が登場していました。

 物語の中心人物の一人・源太郎は、この闇坂のすぐ近くで生まれ育ちました。成長した彼はやがて大学に入ります。学生運動の熱い風が吹いている時でした。若者たちには理想があり、理想の実現を妨げている相手について明確に意識ができる時代でした。源太郎もその熱風を体に受け、次第に自らの立ち位置を見いだしていきます。

 青年時代は気の置けない友人を簡単に作れる貴重な時期です。村町真(むらまち・まこと)芦田光介(あしだ・こうすけ)も、ふとしたきっかけで源太郎が得た友人たちでした。真は東洋大学に籍を置く学生活動家。一方、光介の方は学生でも社会人でもありませんでした。心揺るがすようなアジテーションを求め、大学を回っているのだと言います。年上の既婚者とつき合っているそうで、何やら不思議な男でした。源太郎は光介に大いに興味をひかれます。