九段下周辺物語散歩です。

地下鉄九段下駅と『ウンメイト』

 地下鉄九段下駅は、東京メトロ東西線・半蔵門線、都営新宿線が乗り入れています。百舌涼一の楽しい小説『ウンメイト』(2016・平成28)では、この駅の改札外にあるトイレがとても大事な役割を持って描かれます。

 

 主人公「ボク」は、システムエンジニアをしている20代の独身男性です。彼はお腹が弱く、すぐ下痢をしてしまいます。半蔵門線に乗っていたこの時もそうでした。

 九段下駅で途中下車、「多目的トイレ」に駆け込み、間一髪間に合った、と思ったのですが……。

 何とトイレに先客がいます。美しい女性です。トイレに設置されている多目的シートに横たわっていました。

 ここまで必死にたどり着いた彼の「努力」は、この予想外の事態により、水泡に帰しました。美女はどうやら酔って寝てしまっていたようです。目覚めた彼女は「ボク」を駅の直近にあるマンションに連れ帰り、シャワーを使わせてあげました。

 彼女はかなり独特な個性の持ち主でした。「ボク」を「ゲーリー」と呼び、昨夜バーで会ったイケメンを捜してほしいと依頼します。それが自分の「運命のひと」かどうかを知りたいとのこと。彼女は酔うと記憶がなくなるそうで、ほとんど手がかりがありませんが、人の良い「ボク」は何とかアプローチできないものか考えます。

  

 九段下駅5番出口近くにある「だれでもトイレ」は実にきれいで、折りたたみ式の多目的シートも存在していました。

 

俎橋と『みをつくし料理帖』

 地下鉄九段下駅から5番出口を使って外に出ると、目の前には大通りです。靖国通りと言います。今日の散歩は、ここからスタートします。道に沿って歩くとすぐ川です。神田川から分かれ、やがて隅田川へと注ぐ日本橋川です。靖国通りが日本橋川を渡るところに架かる橋は俎橋という面白い名前を持っています。名称の由来は、板を2枚並べた橋だったから、などと言われていますが、確実なところはわからないようです。

 非凡な才能を持った娘料理人・澪(みお)の奮闘を描く、高田郁の人気時代小説『みをつくし料理帖』シリーズでは、第2巻『花散らしの雨』(2009・平成21)から、俎橋が多く登場します。澪が働く店「つる家」が神田明神下から俎橋の近くに移ったからです。

 

 澪は上方出身。水害によって天涯孤独になるなど、多くの不幸が彼女を襲います。大坂を去って江戸に来たのも、その不幸と大いに関係がありました。江戸に来た澪が雇ってもらった「つる家」が俎橋近くに移ったのも、忌まわしい災難によるものでした。

 不幸だらけの運命にへこたれそうになる時もある澪。ただ、彼女の周りには温かい人情がありました。澪の周囲の人々は時に優しく親切に、また時によってはあえて突き放すかのように澪に接します。澪はその気持ちを感じ取り、自らを成長させていきます。もともと素質に恵まれていた料理の腕前も、彼らとふれ合うことでより一層磨きがかかっていきます。

 

 それぞれの章で澪が作り出す料理にも引かれますが、彼女の脇を固める人物も大変に魅力的です。『花散らしの雨』からは、清右衛門という戯作者が登場します。非常に横柄な態度で澪に当たりますが、どことなく憎めません。澪の料理に対する評価も確かです。俎橋近くの中坂に住むというこの戯作者、滝沢馬琴がモデルでしょう

 

滝沢馬琴旧居跡

  俎橋の一つ北にある橋を右手に見るように左折します。すぐ左側マンション入り口前に滝沢馬琴旧居・硯の井戸跡の案内表示があります。入ってみるとマンションの玄関前に確かに井戸が。もちろん水は湧いていませんし、覗いてみると井戸穴もないような形ばかりの井戸ですが、それなりの雰囲気をかもし出してくれているのがうれしいですね。

 戯作者・読本作者である馬琴は1793(寛政5)年に、ここにあった下駄屋の未亡人・お百と結婚し、1824(文政7)年に神田明神下同朋町に移るまで31年間を過ごしました。有名な『南総里見八犬伝』もここで書かれました。彼のお墓は茗荷谷・拓殖大学前の深光寺にあります。

 

筑土神社と平将門

 そのまま西に向かうと、目の前に上り坂が見えますね(画像)。九段坂に並行している坂で、中坂と言います。中坂の中程、九段坂側のビルとビルの間に幟がはためいています。細い通路を入っていくと、急に視界が開けびっくりします。筑土神社のお社です。

 その昔、江戸城を築いた太田道潅が、江戸の鎮守として田安台(現在の北の丸公園)に平将門を祀ったのが始まりです。社はその後1616(元和2)年に飯田橋西の筑土八幡町に移り、1954(昭和29)年にこの地に移りました。もとは「筑土明神」と言いました。

 

 平将門は平安時代末期に朝廷への反逆を試み、後に承平・天慶の乱と呼ばれる反乱を起こしました。しかし、平貞盛・藤原秀郷(俵藤太)らによって討たれ、この乱は鎮圧されます。将門はこれ以来、伝説の人物となり、様々な語り物に登場することになります。ここでは『太平記』巻16を引用します。

 

 天より白羽の矢一筋降て、将門が眉間に立ければ、遂に俵藤太秀郷に首を捕られてけり。其首獄門に懸て曝すに、三月迄色変はらず、眼をも不塞、常に牙を嚼て、「斬られし我が五体、何れの処にか有らん。此に来れ。頭(くび)続(つい)で今一軍(ひといくさ)せん。」と夜な夜な呼ばはりける間、聞く人 是(これ)を恐れずと云ふ事なし。

 

 ここ千代田区には将門の首塚と言い伝えられている場所(将門塚)も残っています。

 

 

筑土神社と『QED』

 高田崇史『QED』シリーズの一つである『ventus 御霊将門』(2006・平成18)において、筑土神社は物語のスタートとなっています。

 

 桜の季節でした。九段に花見に来た棚旗奈々は、九段坂の途中でちらりと見えた神社らしき建物に興味を引かれました。その時同行していたのが『QED』シリーズの中心人物・桑原崇、通称タタルです。森羅万象・神社仏閣全てにわたるような知識を持つタタルは、それが築土神社であり、平将門を祀る社であるということなど、当然知っていました。将門に関するタタルの話は広がり続けます。花見という当初の目的はどこへやら、いつの間にか将門に関連する場所を巡ることになってしまいました。

 もちろんそのツアーの案内人はタタルです。築土神社を皮切りに、神田明神、将門塚、中央区の兜神社、新宿区の稲荷鬼王神社など、東京のあちこちを訪ねた後、茨城県へ、そして千葉県へと彼らは精力的に動き回ります。

 タタルはそれぞれの地を巡りつつ、将門に関する記録や伝承を非常に詳細に紹介してくれます。この小説そのものが将門に関する物語散歩だと言えるでしょう。加えて彼は、広汎な知識を生かしてそれらを分析し、独自の将門像を示してくれます。これも大変興味深いものです。

 

 築土神社の現在の社殿は1994(平成6)年に新しく造られました。

 

 

九段坂と「悪魔の舌」

 さて、中坂を戻り、また靖国通りに出ます。靖国通りの、中坂に並行して登る坂を九段坂といいます。今でこそそれほど急坂ではありませんが、以前は相当な勾配があった坂のようです。関東大震災を期に坂の改正工事が行われ、坂上を市ヶ谷方向にずらして、傾斜をゆるやかにしました。

 

 村山槐多(かいた)という、熱情的な画風で天才の名をほしいままにした画家がいました。放埒な生活を続け、貧困と病苦とにより、22歳の若さで亡くなった人です。彼はまた詩人でもあり、そして、数編ではありますが小説も残しています。その代表作が「悪魔の舌」(1915・大正4)という怪奇小説です。

 

 5月のある日、「自分」は、友人の青年詩人・金子鋭吉から電報を受け取りました。内容は「クダンサカ三〇一カネコ」としてあるだけです。「自分」は九段坂に行き、「三〇一」が何を示すかについて、考えをめぐらせます。そして遂に謎は解けました。それはある場所を示す暗号でした。彼がそこから見つけたものは、金子の遺書でした。

 なぜ金子は自殺したのか。それは彼に「悪魔の舌」が生じたことに起因します。舌が異常に長くなり、表面一面に針が密生したのです。この舌が生じたのと同時に、食物の好みも変化してきます。刺激のある食物を求め始め、そしてその嗜好は遂に、禁断の食物である人肉を求めるまでになってしまいます。

 冬の夜、金子は酔いしれたあげくに日暮里の共同墓地に迷い込み、土葬されたばかりの女性の死体を掘り出してしまいます。そして、乳房と頬の肉を切り取り、家に持ち帰って焼いて食べます。腐敗しかけた半焼けの肉片の味は、「悪魔の舌」にこの上ない満足を与えました。

 しかし、これは次なる惨劇の始まりでしかありませんでした。

 

千鳥ヶ淵と『春の魔法のおすそわけ』

 目の前には田安門。田安門の手前、左右に堀が存在します。田安門に向かって右側の堀を千鳥ヶ淵と呼びます。千鳥ヶ淵は花見の名所として知られています。脇の千鳥ヶ淵緑道にはボート乗り場もありますので、視点を変えた花見も楽しめます。

 

 4月8日の朝のこと、西澤保彦『春の魔法のおすそわけ』(1990・平成2)の主人公・鈴木小夜子も、桜花の舞い散る千鳥ヶ淵緑道にいました。でも彼女の場合、花見目的ではありません。それどころか、ほんの少し前まで、自分がどこにいるのかさえわかりませんでした。原因は酒。前夜どこかで痛飲し、泥酔状態で地下鉄に乗り、夢うつつで下車して今に至ったようです。

 彼女は自分のものでないバッグを持っていました。どうやら車内で取り違えたようです。中には何と2千万の現金が入っています。今まで彼女がこつこつと貯めた預金と同額です。

 彼女はまもなく45歳を迎える小説家です。独身で恋人はなく、自分の容姿にも自信がもてずにいます。来し方行く末を思うと虚しさに襲われるばかり。記憶がなくなるほど酒を飲んだのも、それが原因かもしれません。今まで貯めてきたお金も、一つのバッグに納まる程度なのかと考えると、余計がっかりです。

 千鳥ヶ淵緑道を歩く小夜子は、ボート場の石段に座る若い男性を見つけます。その青年を見て天啓を感じた彼女は、自分に最後までつき合ってくれたらバッグの中の大金をあげようともちかけました。

 一体どう思ったのか、この奇妙な取引を青年は受け入れました。16歳も年の離れた2人の、不思議なデートの始まりです。

 

 読んでいくほど、青年の不思議さは増すばかり。意味深なタイトルも利いています。ラストは幻想的な形になるのか、はたまた現実的な整理がなされるのか、気になってどんどんとページを繰ってしまう、そんな面白さをもつ物語です。

 

千鳥ヶ淵と『ふたたびの虹』

 桜吹雪の舞う千鳥ヶ淵で、ボートに乗っている一組のカップルがいます。2人とも、熟年と言って良い年代でしょうか。楽しそうです。あ、漕ぎ手が交代しました。今度は女性がオールを持っています。

 この仲むつまじそうなカップル、柴田よしき『ふたたびの虹』(2001・平成13)の主要登場人物です。この場面は「たんぽぽの言葉」の章の冒頭です。

 

 女性は丸の内の路地で、京風の小料理店「ばんざい屋」の女将である吉永、男性は吉永の親友で、古道具屋「かほり」の店主・清水啓一です。

 物語はミステリーの要素がふんだんに盛り込まれています。ある時には、特別な事情からクリスマスが大嫌いになった女性にスポットライトが当てられ、またある時には常連の男性客が他殺体で発見される……様々な謎が描かれます。上に記したように、苗字しか示されていない女将にも何か大きな秘密があるようです。その女将に思いを寄せている清水も、抱えるものを持つ人物のよう。謎解きやいかに、大人の恋愛の行方はいかに。読んで良かったと思える物語です。

 物語散歩できる他のポイントとして、初章「聖夜の憂鬱」で、JR御茶ノ水駅ホームが描かれています。

 

牛ヶ淵と『Dの虚像』

 今度は田安門に向かって左側の堀です。こちらは牛ヶ淵と呼ばれています。牛ケ淵という変わった名前は、かつて九段坂が急坂だった頃、坂からここに牛が転げ落ちたのが由来であるという説があります。湯川薫『Dの虚像』(2000・平成12)で、最初の謎が生まれたのはこの牛ヶ淵でした。

 

 物語の語り手である医師・和田又三郎は、ある夕暮れ、早稲田通りを九段下の方に向かって歩いていました。靖国神社が目に入り始めたときです。女の叫び声が上がりました。声のした方を向くと、巨大な男が制服姿の娘を捕まえ、連れ去ろうとしています。大男はあっという間に車道を横切るや、高く飛び跳ねて、娘を連れたまま牛ヶ淵に落ちていきました。ところが、後を追って堀にたどり着いた人がのぞき込むと、2人の姿はどこにも見えません。水面も穏やかなままです。どこかに消えてしまったとしか思えない状況です。

 さらわれた女生徒の父親は昆虫学者の大学教授ですが、この父親にも悲劇は襲いかかります。密室状態の研究室の中で、この上なく残酷な方法によって殺されているのが発見されるのです。

 これらの謎に挑むのが、又三郎の親友で、「サイバー探偵」を旗印とする橘三四郎です。三四郎は亡くなる前の教授から捜査依頼を受けていました。すでに彼は誘拐犯から来たと思われる脅迫状の暗号を簡単に解読しています。

 この後、物語は様々な意味合いで大変に広がりを持った展開となっていきます。さらに、文系・理系それぞれにかかわる知識もふんだんに盛り込まれています。