jr新宿駅周辺と東側散歩

甲州街道を通ってJR新宿駅の東南口方面に回りましょう。改札口の前に階段とエスカレーターがあり、そこを降りると広場(新宿駅東南口広場)になっています。

 この階段と広場は、山下卓『RUN RUN RUN』に描かれています。冬のある日、深夜の出来事でした。

山下卓『RUN RUN RUN』(徳間書店・2006)

 岩楯マリ子(いわだて・まりこ)は29歳の雑誌編集者です。彼女は社内での異動が元で、すっかり気力を喪失していました。深夜に新宿駅東南口広場に来たのも、どこに自分を見いだして良いかわからなくなった結果と言えます。

 マリ子はその広場で、1人の女子高生を連れた、ルナと名乗る女性に出会います。ルナは勤めるキャバクラを無断欠勤するほど、この時大変に鬱屈した精神状態でした。

 ルナは知り合いからもらった温泉宿の無料宿泊券を持っていました。少し後、関越自動車道を飛ばす車の中に、ハンドルを握るマリ子の姿がありました。車内にはルナと女子高生もいます。向かう先は雪国の温泉宿。現状からの、また自分自身からの逃避行です。マリ子もルナ同様に無断欠勤です。

 マリ子とルナは心に余裕がない者同士。車内はどうしても殺伐としたムードです。そんな中、女子高生の存在は、触媒のように、車内の雰囲気をやわらげる役割を果たしていきました。ただ、ルナが歌舞伎町で拾ったという、マコトという名のこの女子高生、何やらありそうです。

 

 階段を降りて広場に出た後は右手のガードをくぐり、甲州街道の下を通り抜けましょう。タカシマヤタイムズスクエアがあります。じつはここ、住所で言うと渋谷区千駄ヶ谷5丁目で、正確には新宿区ではないのですが、ちょっと大目に見てください。

 タカシマヤタイムズスクエア本館の2階から8階にわたり、東急ハンズが入っています。ここに買い物に来たのが、本谷有希子『あの子の考えることは変』の主人公たちです。

 

本谷有希子『あの子の考えることは変』(講談社・2009)

杉並区の高井戸のアパートに同居する23歳の女性2人。高校時代の同級生で、物語はそのうちの1人・巡谷(めぐりや)の視点で描かれています。

巡谷から見て、同居人の日田(にった)は無職の散らかし魔、突拍子もない持論を振り回すかなりの変人です。一方の巡谷にも時折、自分で自分が制御できなくなる、《魔の時》が発生します。

 巡谷には体の関係もある、好きな男がいます。彼には別に恋人がいるのですが、なんとか乗り換えてもらおうと、一つの計画を実行中です。

 彼の誕生日プレゼントを買うため、巡谷が日田と訪れたのがタイムズスクエアの東急ハンズでした。ところが、品物を物色中に例の《魔の時》に襲われてしまいます。日田にも助けられ、新鮮な空気をすうべく、サザンテラスのイーストデッキ(写真)に出ました。

 

 JR新宿駅に戻り、東口の駅ビルに入ります。個人的には1978年からの呼称である「マイシティ」に愛着があるのですが、2006年から「ルミネエスト」に改称されて現在に至ります。東口改札を出たすぐ左手、ビアカフェ「ベルク」は原田ひ香『ランチ酒』のモデルとなっています。

 

原田ひ香『ランチ酒』(祥伝社・2017)

主人公・犬森祥子(いぬもり・しょうこ)の仕事は「見守り屋」です。勤め先の正式な名前は「中野お助け本舗」。昔の同級生が営んでいる何でも屋です。営業時間が22時から朝5時までと、かなり変わっているものの、需要はかなりあるようです。仕事明けの彼女は自宅に帰る前、お店に入って食事をし、お酒を飲みます。具体的な店の名前は書いてありませんが、実在するお店をモデルにしています。お酒も食べ物も、非常に美味しそうに描かれていて、行ってみたくなります。「第7酒 新宿 ソーセージ&クラウト」の章もその一つ。

 祥子の仕事終わりは朝方。小説のタイトルにある通り、昼間のお酒となります。彼女が「見守り屋」を行う理由、早い時間帯からお酒を飲む理由は、彼女の辛い過去に関係していました。

 

 東口駅前広場を突っ切り、西武新宿線新宿駅に向かいます。切符売り場に向かうには正面の階段を上ることになりますけれど、目的はそちらではないので、ホームを左上に見上げるようなつもりで、脇の道を進みます。ホーム高架下に赤レンガ風のタイルが張られた壁が続いています。ブリックストリートという飲食店街です。2016年に現在の形にリニューアルされました。それ以前、まだここに「アメリカン・ブルバード」という商業施設が展開されていた頃、しょぼくれた顔でその前を歩いていたのが佐藤多佳子『神様がくれた指』の昼間薫です。

 

佐藤多佳子『神様がくれた指』(新潮社・2000)

主人公は昼間薫(ひるま・かおる)に辻牧夫(つじ・まきお)という2人の男性。体格は対照的です。薫は「マルチェラ」という名前を用い、赤坂の路地で商売をする占い師です。華奢な体躯と色白の顔、肩にかかる栗色のなめらかな髪に、白くほっそりした手……。仕事をするときの姿はエレガントな美女そのものです。ちょっと面白いのは、大学法学部卒業という学歴にギャンブル好きというその人物設定です。一方の牧夫は長身で坊主頭。正体は電車専門のスリでした。

 夏のある日、薫は牧夫と出会いました。歌舞伎町でギャンブルをして負けた後、アメリカン・ブルバード沿いに西武新宿駅に向かっていた時の出来事です。牧夫はけがをして動けなくなっていました。このとき牧夫は刑務所から出たばかり。出所を迎えてくれた知り合いの女性と電車に乗っていたところ、その女性が若い男女のグループ・スリに狙われました。牧夫はグループの1人を追いかけますが、逆にその男に投げ飛ばされ、肩を脱臼して動けなくなってしまいました。そこにちょうど通りかかったのが薫。彼に助けられた牧夫は、しばらく薫の住まいに身を落ち着けます。独身の男同士の奇妙な共同生活の始まりです。

 

 歌舞伎町に向かいましょう。警察小説やハードボイルド小説の舞台としておなじみのところです。歌舞伎町2丁目にバッティングセンターが2つ近くに並んで存在しています。「オスローバッティングセンター」と「新宿バッティングセンター」です。先ほど紹介した山下卓『RUN RUN RUN』でもルナがバッティングセンターで遊ぶ場面が出てきますが、2つのうち、どちらであるかちょっとわかりませんでした。ここでは「新宿バッティングセンター」とはっきり出てくる小説を紹介しましょう。

 

木下半太『美女と魔物のバッティングセンター』(幻冬舎・原題『東京バッティングセンター』2009)

 主人公で語り手の「吾輩」は、歌舞伎町のホストです。新人なので、源氏名はもらえていません。彼の正体は吸血鬼。夜の商売で、女性と濃厚な関係を作りやすいホストは、現代に吸血鬼が生き抜くための絶好の職業だと思っています。ところが新人のため、先輩ホストの手荒い教育的指導を受けることも多く、なかなか辛い日々のようです。ある日、先輩ホストが女性客に刺されるというトラブルが発生しました。命に別状はありませんが、店は臨時休業です。「吾輩」は別の先輩ホストに連れられて、「新宿バッティングセンター」に入りました。すると、バッティングに興じている客の中に、先輩ホストを刺したとおぼしき女がいます。…この女、「復讐屋」という仕事をしている人物でした。

 

 歌舞伎町を離れて、新宿2丁目に向かいます。ここには太宗寺、成覚寺、正受院といった寺院が存在しています。江戸の昔、このあたりには宿場町が形成されていました。内藤新宿です。「飯盛女」という名称で、実質は春をひさぐ遊女も抱えられていました。不幸にして亡くなった遊女たちの「投げ込み寺」だったのが成覚寺(じょうかくじ)で、今も「子供合埋碑(こどもごうまいひ)」という名の供養塔が残っています。成覚寺の名前が出てくる小説を一つ紹介します。

 

岡部えつ『新宿遊女奇譚』(メディアファクトリー・2011)

内藤新宿きっての花魁・千代乃(ちよの)に勘太郎(かんたろう・ただし仮名)という恋人ができました。相思相愛の仲でしたが、勘太郎の家では女郎に骨抜きになっている息子を見限って勘当。勘太郎は淀橋の水車小屋に住み込みで働くことにしました。この上なくつらい労働のようで、千代乃に会いに来るたび、勘太郎はどんどん痩せていきます。身を案じた千代乃はある日、変装して店から抜け出し、勘太郎に会いに行きました。しばらくして耳をつんざくような轟音が内藤新宿に聞こえてきました。淀橋の方角からです。淀橋水車の爆発事故でした。幕末1854(安政元)年に実際に起きた事件です。本来穀物用に利用されていた水車を外国に対抗するための火薬製造に使ったため、安全対策がおろそかだったのだそうです。

 店の人たちが千代乃を探しに行くと、出かけたときと同じ着物をした死体が見つかりました。ただ、爆風で飛ばされた鉄の塊が当たったらしく、その死体には顔がありませんでした。それを見た旅芸人の女が、持っていたおかめのお面でその死体の顔に当たる部分を覆ってあげました。千代乃の死体は内藤新宿の成覚寺に埋葬されましたが、魂はまだ迷っているのか、千代乃の妹分にあたる遊女の元に幽霊となって現れ出ます。その幽霊はおかめのお面を付け、「あたしの顔はどこだえ」と声を発するのだそうです。

 

 なお、この作品の別の物語では新宿5丁目の花園神社(右画像)が舞台となっています。

 同じく新宿2丁目、正覚寺から少し歩いたところに浄土宗の太宗寺があります。家康を江戸に迎えるのに功績のあった武将・内藤清成の子孫・正勝が埋葬されてから、歴代の墓所となりました。境内の閻魔堂に安置されているのが閻魔像と脱衣婆像(「奪衣婆」とも表記される)で、迫力ある姿の像となっています。この閻魔像・脱衣婆像には、幼い子供を食ってしまったという言い伝えがあります。閻魔像の口から、食った子供の着物のつけ紐がだらりと下がっていたことから、「つけ紐閻魔」と呼ばれるようになったとか。その伝説がうまく活かされているミステリーを紹介します。 

 

物集高音『大東京三十五区 夭都七事件』(祥伝社・2002)

舞台は昭和初期の東京です。早大文科の学生ながら学業はそっちのけで、三文雑誌に売るための記事集めに精を出す男・阿閉万(あとじ・よろず)。彼が見聞した奇怪な事件を、下宿の大家である間直瀬玄蕃(まなせ・げんば)が解き明かす、というミステリー。

 5番目の章「子ヲ喰ラフ脱衣婆」は、前述の伝説を下敷きにした物語で、時は1933年の春。太宗寺の境内で隠れん坊をしていた幼い兄妹、オニになった妹が兄を捜そうと閻魔堂(画像右)を開けると、薄暗い床には血が流れていて、脱衣婆の口からは兵児帯がだらりと垂れ下がっており、兄はそれきり姿が見えなくなってしまいます。さては脱衣婆が食べてしまった? …という展開です。