巣鴨・大塚・池袋の物語散歩です

 徒歩ばかりではなく、都電荒川線に乗って移動する部分を含むコースです。都電に乗ることをアピールすると、意外と多く参加者が集まります。2015年5月など、過去に何回か行っていますが、スタート地点はJR大塚駅前だったり、巣鴨駅前だったりと、けっこうバラバラです。今回お示しした資料は、過去数回のものを合体させ、新しい情報を加えた形になっています。

 まずは物語散歩地図からご覧下さい。

 

地蔵通り商店街と『桜雨』

 巣鴨と言えば「とげ抜き地蔵」が思い浮かびます。正式には萬頂山高岩寺という、曹洞宗のお寺です。そしてその門前には「おばあちゃんの原宿」こと「巣鴨地蔵通り商店街」が広がります。

 商店街の通りは旧中山道ですが、この通りと折戸通りとが交わる、その近くの路地を入った所に「平和荘」があります。板東眞佐子『桜雨』(1995・平成7)での話です。古ぼけた2階建て、家賃3万7千円のこのアパートに、額田彩子という29歳の女性が引っ越して来ました。同棲していた男との過去を捨て去るため、このわびしいアパートに移って来たのです。

 

 彩子は雑司ヶ谷の小出版社に勤めています。戦前の幻想絵画に関する本を出すための資料を集めている彼女の前に、一幅の掛軸が出現します。署名も落款もないその絵は、実に魅力的でした。闇の中に炎が立ち上がり、火の粉と桜の花が乱舞するその中に描かれる二人の女…。幻想的でかつ緊張がみなぎり、どこか怖くそして寂しげな、そんな絵でした。彩子はその絵の作者についての調査を開始します。そして偶然、その絵についての重大な情報を持っている女性に会うことができました。なんと彩子のアパートに以前からいる老女だったのです。その絵の成立には、一人の男性をめぐる二人の女性の激しい情念が関係していました。

 

 この物語は、ラスト近くに衝撃の一行があります。読者は読了後、きっともう一度最初からページを繰って、内容を確かめることになるでしょう。

 

 作品には巣鴨の商店街や近くにある寺院、染井霊園なども紹介されています。また、戦前の一時期に池袋駅の西側、要町や長崎に存在した「アトリエ村」も物語の舞台になっています。

 

慈眼寺と新内「明烏夢泡雪」

 1769(明和6)年7月に1つの情死事件が起こりました。江戸吉原にある蔦屋の遊女三芳野と浅草蔵前伊勢屋の養子・伊之助とが心中をしたのです。(遊女名や伊之助の身分については異説あり。)豊鴨の慈眼寺の境内には、2人を供養する目的で建てられた石塔があり、比翼塚と呼ばれています。

 

 日本の伝統芸能の一つである新内の名曲「明烏夢泡雪」の詞章は、この心中事件を元にして作られたと言われています。

 

 吉原・山名屋抱えの遊女浦里は、客の時次郎と相思相愛の仲となっています。時次郎は浦里に会う金を作るため、家から持ち出したり、親戚や出入りの屋敷から借り尽くしたり。今やどこからも金を得るあてはなく、山名屋からは出入りを禁じられた身です。こっそりと浦里と会っているところを遣手婆に見つかり、時次郎は店の者に袋だたきにされて追い出されます。浦里も降りしきる吹雪の中、庭の古木に縛り付けられ、帚で打たれるという折檻を受けます。

 そこに浦里付きの禿(かむろ)(見習い少女)のみどりが走り寄ってとりすがり、許しを請いますが、逆に浦里と同様縛り上げられてしまいました。

 雪の中悶え泣く浦里。主人からは時次郎を諦めればすぐに縄を解いてやると言われましたが、思い切れるものではありません。

 そこに刀を口にくわえた時次郎が戻ってきました。屋根づたいに忍び込み、浦里とみどりの縄を切ります。時次郎は、逃げられる限り落ちのびようと言って、みどりを脇に抱え、浦里と共に山名屋の塀によじ上り、その向こうへ逃げていこうとするのでした。

 

 現在の比翼塚は、戦災の後に復元されたものです。慈眼寺には、この比翼塚の他、芥川龍之介の墓や谷崎潤一郎の墓(分骨)などもあり、文学散歩に興味のある人が多く訪れる場所となっています。

 

大塚駅周辺と『ちょんまげぷりん』

 都電荒川線に乗って移動しましょう。都電の走る場所はどこも大変魅力的ですが、JR山手線と立体交差する大塚駅のあたりは個人的に特に気に入っています。JRの駅前ですから人も車もひっきりなしに通りますが、遮断機がないのにうまく整理している踏切のシステムは、好奇心が刺激されます。

 

 荒木源の『ちょんまげぷりん』(2006・平成18)では、冒頭を初めとして、この大塚の駅周辺が何度か描かれます。主人公・遊佐ひろ子が利用する駅だからです。

 

 ひろ子はシングルマザー。息子の友也を保育園に預け、システム・エンジニアとして日々忙しく過ごしています。ある朝、ひろ子の前に侍姿の男が現れました。何やら困惑の体です。彼女としてもすぐには信じられないのですが、この侍、江戸は文政の時代からここにタイムスリップしてしまったようなのです。

 彼を衆目にさらしたままではまずい。ひろ子はこの侍・木島安兵衛をマンションにかくまい、何とか元の世界に戻れるよう、手助けをしてあげることにしました。

 ひろ子の居候となった安兵衛は、その恩に報いるため家事を引き受ける、と言いました。仕事が多忙で、友也の相手もろくにできずにいたひろ子にとってはありがたい申し出です。

 安兵衛は「主夫」を見事にこなしました。研究心旺盛で、料理の腕前はみるみる上がります。特に力を入れているのがスィーツで、友也は大喜びです。

 

 ひろ子にとって彼の発言も新鮮でした。江戸時代の侍としての理念からくるものですが、筋が通っており、時代錯誤と切り捨てられないものを感じます。

 

雑司ヶ谷霊園と「雑司ヶ谷へ」

 さて、JR大塚駅前から都電に乗って移動することにしましょう。下車するのは雑司ヶ谷停留場です。都電の停留場名は「雑司ヶ谷」ですが、地名は「雑司が谷」と書きます。ところが停留場のすぐ目の前にある霊園は「雑司ヶ谷」霊園です。

 雑司ヶ谷霊園は1872(明治5)年に作られた共同霊園です。ここに眠る著名人は実にたくさんいて、文学関係だけでも夏目漱石・小泉八雲・金田一京助・竹久夢二・泉鏡花・永井荷風などなど、多すぎて、限られた時間では案内しきれません。

 

 ところで雑司ヶ谷は、原田宗典の短編「雑司ヶ谷へ」『優しくって少し ばか』所収1986・昭和61)の中で重要な意味を持つ場所として登場します。

 

 主人公の「ぼく」はコピーライター。都電・面影橋の近くに住んでいます。比呂美と言う名前の女性と同棲していますが、彼女は妊娠をしてしまいました。結果、堕胎。二人の間には目に見えない感情のずれが生じてきます。その後、なぜか彼女は近くにある雑司ヶ谷霊園に行きたがります

 

 

鬼子母神と『姑獲鳥の夏』

 豊島区雑司が谷の鬼子母神。樹齢約600年という子授け銀杏や、「すすきみみずく」の玩具でも知られています。これまでは都電荒川線の鬼子母神前停留場からのアクセスが便利でしたが、2008(平成20)年に開通した東京メトロ・副都心線の雑司が谷駅からも行けるようになりました。

 

 鬼子母神の北方に法明寺があります。(というより、鬼子母神を祀るお堂自体、法明寺の飛び地となっている境内に存在しています。)鬼子母神堂から法明寺境内に至るあたりは、京極夏彦『姑獲鳥(うぶめ)の夏』(1994・平成6)において重要です。不思議な事件の発生した久遠寺医院のある場所として設定されているからです。

 

 時は昭和27年です。物語は語り手の関口巽(たつみ)が、友人である古本屋の京極堂こと中禅寺秋彦を訪ねるところから始まります。

 関口は京極堂に一つの謎めいた話をします。とある産婦人科で、医院の婿養子が密室状態の部屋から消えてそのまま行方不明となり、妻は妊娠20ヶ月となるのにいまだ出産に至らない、という不思議です。

 その話は京極堂の関心をひいたようでした。その婿養子というのが彼の知り合いだったからです。関口にとっても高校時代の先輩でした。姓が替わっていたため、京極堂に言われるまで気づかなかったのです。

 問題の産婦人科である久遠寺医院には別の噂も立っていました。婿養子が失跡する少し前、生まれた子供がたびたびいなくなったのだとか。

 後に関口は久遠寺医院の娘・涼子に会う機会を得、法明寺の東側に位置するという、その病院を訪ねることになります。ところが関口は、その場所をかつて訪れたような気がしてなりません。次第に明瞭になっていく彼の記憶は、失跡事件の謎と何か接点を持つのでしょうか。気になります。

 

 鬼子母神から法明寺境内へは歩いてすぐです。法明寺の参道は落ち着きのあるたたずまいを見せ、京都か鎌倉にいるような気分にもなれます。

 

鬼子母神と『家庭教師は知っている』

 雑司が谷の鬼子母神が描かれた作品が2019年3月に出ましたので紹介します。青柳碧人『家庭教師は知っている』です。「鬼子母神」と何度も出てきます。場所の描写がそれほど具体的ではありませんが、内容はかなり印象に残りました。

 

 家庭教師派遣センターで主任として働く主人公・原田保典にとって、雑司が谷付近は「学生時代に縁があった」場所だそうです。鬼子母神の境内で一休みしている時、ちょっと気になる女の子を見つけました。小学校高学年くらいの子ですが、この時は平日の昼間。普通なら学校に行っている時間です。胸騒ぎを覚えた彼は、女の子に声を掛けてみることにしました。

 

 彼はこの一件以外に、顧客となっている家庭の「闇」を何度も見てしまいます。各章のタイトルが闇の一部を語っています。「鳥籠のある家」…トイレを含め、あちこちの部屋に空っぽの鳥籠が吊されている、「逆さ面の家」…玄関を入った壁に人の数十人の顔が逆さまに浮き出ている…などなど。

 

サンシャインシティと「アーリオ オーリオ」

 法明寺からは歩いてサンシャインシティに向かいましょう。サンシャイン60。言わずと知れた高層ビルですね。1978(昭和63)年の完成です。地上高約240㍍は、完成時はアジア第1の高さを誇るビルでした。

 

 このビルを中核とする複合商業施設・サンシャインシティの中には水族館やプラネタリウムなどがあります。ここで話題にしたいのはプラネタリウム。絲山秋子『袋小路の男』(2004・平成16)所収の「アーリオ オーリオ」での話です。

 

 松尾哲は38歳。勤務先は環八沿いにある清掃工場です。工場での廃棄物処理はコンピューターで制御され、哲の仕事は中央制御室で全体の動きを監視することにあります。人と交わることの殆どない仕事であり、親しい同僚はいません。

 

 そんな哲がプラネタリウムに連れて行った姪の美由は中学3年生。年齢差は20歳以上もあり、最初は何となくぎこちない2人です。しかし哲は高校時代からの友人と週末、群馬県の天文台に星を見に行くほどなので、天体には詳しい。美由も星の世界に興味を持ち始めたようです。

 哲叔父さんにメールを出したいと言う美由に、哲は手紙ならいいよと言います。美由は初め気が進まなそうでしたが、その後届いた手紙には、中3らしい素直な文面でお礼と近況が綴られていました。今度は哲が返事を出す番。哲の手紙は、思いがうまく文章にならない典型のようで、相当に淡泊です。話題も天体が中心。しかし美由はそんな哲の手紙を若い柔軟な感性できちんと受け止め、「自分探し」の一つの手がかりにしていきます。次々に届く美由の手紙は、幼さのまじる表現の中に内面の成長が見られます。

 

 表題はサンシャインシティで哲が食べたパスタの名です。印象的な名前に思えたのか、美由はそれを、彼女の、ある大事なものの名称として利用することにしました。

 

サンシャインシティと「ハルツームにわたしはいない」

 

 サンシャインシティの水族館が描かれる作品をもう一つ。柴崎友香「ハルツームにわたしはいない」『週末カミング』所収2012・平成24)です。面白いタイトルです。ハルツームはスーダンの首都。主人公の「わたし」こと「ヒカル」は物語の中で、自分のiPhoneにハルツームを登録し、表示される天気や気温を何度も確かめています。

 

 この日、彼女は友人である「ゆきえ」と一緒に、「ゆきえ」の友人の結婚パーティに出席しました。サンシャイン水族館貸し切りでそのパーティが行われています。

 

 「わたし」は「ゆきえ」と池袋で待ち合わせました。その前後、「わたし」はちょっとしたことに出会います。電車の中で女性のスカートの裾のまくれをさりげなくなおしてあげるおばあさんや、同窓会の流れでしょうか、西武百貨店の前で実に楽しそうにはしゃぐ3人「おっさん」たち、などなど。これらのささいな出来事について、「わたし」がどのように考えるのか、それは彼女がハルツームの天候をiPhoneに登録しているのに通じる、もののとらえ方があるようです。

 

 「わたし」は池袋に忘れられない光景があるそうで、それは小さな劇場に行った時に窓の隙間から見えた、広い墓地にそびえ立つ巨大なケヤキです。その場所はサンシャインシティから高速道路を渡った先にあったようです。「三十メートルはありそうだった」とあります。実在するのかどうかが大いに気になります。

 

サンシャインシティと『ウズタマ』

 サンシャインシティの水族館と思われる場所が描かれる作品をさらにもう一つ。額賀澪『ウズタマ』(2017・平成29)です。

 28歳の松宮周作の恋人・紫織(しおり)はシングルマザーです。彼女の娘である4歳の真結(まゆ)との心の距離が埋められずにいます。本当は3人で行くはずだった「池袋の巨大な商業施設の中にある水族館」。でも仕事の都合で紫織が後で合流ということになりました。真結と自然体でふれあいたいと思う周作ですが、逆に緊張でがちがちになってしまいました。

 周作には母の記憶がありません。父は現在、脳梗塞で意識不明です。父親は倒れる少し前、周作に324万円の記載がある預金通帳を渡しました。名義は周作です。誰かが周作のために少しずつ貯めていったお金だそうです。母親ではありません。周作の知らない、あるいは記憶から消えてしまっている何らかの事情があるようですが、父親から事情を聞くことは既にかないません。

 読後感の良い小説で嬉しく思いました。

 

東池袋中央公園と「池袋と白い空」

 サンシャイン60の足下にある東池袋中央公園に立ち寄りましょう。その隅にある1つの石碑をぜひ見て欲しいです。碑には「永久平和を願って」とあります。

 

 戦後のこと。この地にあった東京拘置所がGHQに接収され、戦犯を収容する巣鴨プリズンとなりました。そこで東條英機ら7名のA級戦犯の処刑も行われています。前述の碑文には、その時代における様々な不幸や悲劇をいたむ思いが凝縮されています。

 

 時は移ろい、その歴史を知らずに公園を訪れる人も多くなっています。姫野カオルコ「池袋と白い空」『部長と池袋』所収2015・平成27)に登場する24歳の鷺坂さんもその1人です。

 彼女と同じ病院に勤める主人公の「ぼく」とは時々2人きりで会う関係にあります。49歳の「ぼく」は、彼女が秘密や不倫といったものに対してあこがれを抱いているように見えました。

 「ぼく」は思います。こっちの世代の自分と向こうの世代にいる彼女。互いが相手の世代を新鮮に感じているのだろう。2人の間に何もなく、先方から好かれているだけ、というのは気持ちの良いものだ、と。かつ、その関係を超えないように保とうとするのは卑怯である、ということも彼は認識しています。

 

 ある日、彼女は「ぼく」を池袋に誘いました。「ぼく」にとって池袋は大学の時によく訪れた場所でした。現在の妻とデートした喫茶店もまだあります。彼はまた、白い服の傷痍軍人が駅前広場で物乞いをしていたことも思い出しました。やがて彼らは喫茶店を出ます。東池袋中央公園に歩を向け、先述の碑に近寄っていきました。

 

 碑が立つところは、戦犯の処刑場があった場所です。「ぼく」も鷺坂さんにそう説明しています。五つの絞首台跡にはそれぞれに卵形の塚が築かれましたが、その塚は現在では失われています。

 

ウイ・ロードと『謝り屋始末記』

 JR池袋駅に近づいてきました。西武百貨店が見えますね。池袋駅は東口に西武百貨店が、西口に東武百貨店がある、というややこしいことになっています。

 西武百貨店の隣はパルコ。そしてパルコの横に、ウイ・ロードという愛称を持った、線路下を抜ける歩行者用通路があります。1925(大正15)年からの歴史を持っています。池袋駅の西側に抜けられるようになっています。

 

 松本賢吾『謝り屋始末記 不動明王篇』(2002・平成14年)では、30歳過ぎの男がここで一風変わった「謝りライブ」なるパフォーマンスを行っていました。一回千円、土下座でひたすら謝るのだとか。金を出す客も多く、みな爽快な気分になって立ち去ります。

 

 男の名は北山慎治。彼の本職は「謝り屋」です。

 クライアントの依頼を受けてひたすら相手に謝ること、これが彼の仕事です。たとえ暴行を受けてもやめません。何をされても謝り続けるその気迫で、逆に相手を圧倒してしまうのが「謝り屋」です。億の金をも動かします。

 

 壮烈な半生でした。慎治のせいで死んだ者もいます。「謝り屋」はそんな生き様の末に行き着いた商売です。彼は過去全てを自らの業として背負うため、また自ら生まれ変わるため、ある大きな決意をしました。極端と言えるほどの決意です。彼は以前池袋で知り合った一人の人物を訪ね、自らの思いを打ち明けて、協力を願いました。

 何とか承諾はえられたものの、しばらく世間から離れねばなりません。しかし、そんなときに限って、トラブルが発生します。同業者の死。その原因は慎治にも関係しているようです。あわてて動き始めた彼を大きな敵が待ちかまえていました。

 

 地下通路の両出口の先は共に非常に繁華なエリアですが、面白いことに雰囲気はそれぞれかなり異なっているようです。どちらのムードがお好みでしょう。

 

池袋と〈池袋の女〉伝説、そして四面塔

 池袋には江戸の昔から少々奇妙な伝説「池袋の女」が伝わっています。池袋から来た女を妻にしたり、住み込みの女中に雇ったりするとたたりがあるという話です。

 

 雰囲気ある怪談の名手として知られる岡本綺堂にその名も「池袋の女」という随筆があります。その中に岡本綺堂の父親が「親しく見た」という話が載っていました。(青空文庫より)

 

 麻布にあった内藤紀伊守の下屋敷に夜な夜な怪奇現象が発生します。たくさんの蛙がどこからともなく出てきて、女たちの寝ている蚊帳の上に上ったり、警護の武士の頭に石が落ちてきたり。原因がわからず、困り果てましたが、ふと、使用人の中に池袋の女がいないか、と調べたところ、案の定、女中の中に該当する者が1人いました。この女は出入りの者と密通をしていました。これを追い出したところ、3ヶ月も続いていた怪異がぴたりと止んだということです。

 

 池袋出身というだけで怪異の元凶と見なされるとは何ともお気の毒な話です。それだけ池袋という場所は、以前は相当に不可思議な場所だったのでしょう。それを示す場所が、池袋駅近くにひっそりとたたずんでいます。四面塔と呼ばれているお稲荷さんの祠がそれ。現在の西武池袋駅東口のあたりは、夜になると追いはぎや辻斬りが多発し、被害者が続出したそうです。享保6(1721)年の夏など、一晩に17人が辻斬りによって亡くなりました。この塔は亡くなった人たちの供養のために建てられたものだそうです。

 

池袋大橋と『ただいまが、聞きたくて』

 四面塔から進行方向を見ると巨大な煙突が目に入ります。豊島清掃工場のそれです。その建物に隣接して、池袋大橋が架かっています。橋とはいえ、下を流れるのは川ではなく電車の線路です。JR山手線や埼京線、東武東上線などの線路。橋の上はいかにも車の天下といった印象。やや広めの歩道はあるものの、片側だけにしか存在していません。

 

 冬のたそがれ時のこと。池袋大橋に一人たたずむ女子高生がいました。坂井希久子『ただいまが、聞きたくて』原題『ただいまが、聞こえない』2014・平成26)に描かれる和久井家の次女・杏奈です。何やら浮かない顔をしています。それもそのはず、彼女はつい少し前、彼氏に振られたばかり。やけ食いしても気分は最低のままです。

 その時、彼女に新たな出会いがありました。男性が声をかけて来たのです。スーツ姿の大人でした。まだ若く、さわやかな雰囲気でしたが、彼の口から出た言葉は杏奈を驚かせるに十分でした。下着を譲ってほしいというものだったからです。

 もちろん杏奈はきっぱりと断ります。ところがその少し後、喫茶店で向かい合う彼らの姿がありました。ちょっとした事情からそうなってしまったのです。

 その男性に特殊な趣味があることは確かです。ただ、杏奈は彼を変質者として一蹴することができずにいます。それにも理由がありました。

 

 こういう紹介では誤解されそうですが、アブナイ話ではありません。展開を楽しみつつ、しみじみとした思いに浸れる物語です。6つの章で構成されていて、それぞれ和久井家に関係する人物が主人公となっています。彼らは皆生き方がヘタというか不器用です。その不器用さは彼ら自身のせいだけでない、ということも共通しています。

 

池袋西口公園と『池袋ウエストゲートパーク』

 さて、池袋と言えば、これを抜きにしては語れないという作品があります。石田衣良のデビュー作『池袋ウエストゲートパーク』(1998・平成10)です。池袋の街を舞台にした熱い物語です。ストーリーの吸引力ももちろんですが、池袋のに実在する場所がたくさん出てくるので、物語散歩にもうってつけです。作品はシリーズ化され、読者からの熱狂的支持を受け続けています。

 

 初編「池袋ウエストゲートパーク」の章から、少しストーリーを紹介しましょう。物語の主人公は真島誠。池袋にある、卒業までに3分の1が退学するという工業高校を「去年」卒業しました。就職はせず、西一番街にある実家の果物屋の手伝いをしています。彼の日常の居場所は池袋西口公園。彼やその仲間たちはそこを「ウエストゲートパーク」と、かっこよく呼んでいました。西口公園が特に熱気を帯びるのは土曜の夜でした。パフォーマンスにナンパやケンカ。若者たちの昇華しきれないエネルギーがそこで様々な姿を取ってはき出されていました。

 

 誠とその仲間は、ある週末の夜、西口公園で2人の女の子と知り合いました。ヒカルにリカ。夏の日のことでした。「お嬢さん学校」に通う2人。彼女たちには教師の前では決して見せない別の顔がありました。

 充実した時を過ごしていた彼ら。しかし事件は急に発生しました。リカが絞殺されたのです。時期を同じくして、池袋の街で連続女性絞殺未遂事件が発生していました。ストラングラー(首絞め魔)と呼ばれた犯人はついに殺人まで犯したのでしょうか。誠は独自のやり方でこの事件の謎に立ち向かいます。

 

池袋西口公園と『リバース』

 初秋のある夜、池袋西口公園のベンチに座り、ギターをかき鳴らして大声で歌う若者の姿がありました。声が震えています。強い感情の波が彼を襲っているようです。

 この若者、北國浩二の小説『リバース』(2009・平成21)の主人公・柏原省吾です。

 

 省吾はミュージシャン志望のフリーター。なかなか芽が出ない彼の大きな自慢は恋人でした。上野美月といい、人目を引く美人です。

 ところが、美月に新しい恋人ができました。篠塚浩平というエリート医師です。美月は省吾を避け、周囲も美月をあきらめるように言います。省吾は冷静ではいられません。夜の池袋西口公園で気持ちをギターにぶつけます。

 そんな省吾は、ある時から何かに憑かれたように美月と篠塚につきまといます。美月に怖がられても、篠塚から法的手段に訴えると言われてもやめません。省吾がしつこくストーカーまがいの行為をする理由、それは篠塚から美月の命を守るためでした。

 

 そういえば近くに以前、丸池という小池がありました。一説では「池袋」の名につながる池だとか。元池袋公園という小公園の中にあったのですが、いつの間にか池も公園も消えました。公園の方は現在、元池袋史跡公園として引き継がれています。ただ、丸池は復活してはいません。

 

立教大学と江戸川乱歩

 最後の訪問地・立教大学に向かいましょう。ツタのからまる校舎が印象的な立教大学ですが、このキャンパスの一角に日本ミステリー界の巨星・江戸川乱歩の旧居が残されています。江戸川乱歩(1894(明治27)~1965(昭和40))は本名を平井太郎と言います。名探偵・明智小五郎の生みの親です。

 

 この旧居は江戸川乱歩が最期まで住んだところで、1934(昭和9)年に転居しました。没後、2002(平成14)年に立教大学が敷地と共に購入。現在では曜日を限って一般に公開しています。中でも有名なのが土蔵です。当時、乱歩はここにこもって、蝋燭の炎の下で怪しげな雰囲気漂う小説を執筆しているのだというまことしやかな伝説まで生まれました。蔵書数4万冊とのこと。