四谷散歩(四谷文学散歩)

さて、町名としての「新宿」から離れることにして、新宿通りを東に進みます。東京メトロ丸ノ内線四谷三丁目駅の近くで物語を探してみましょう。

 

このコースについては実際に生徒を連れて行っています。ぜひこちらもご覧下さい

峰守ひろかず『新宿もののけ図書館利用案内』(一迅社・2019)

 タイトルに「新宿」がついていますので、今回のセレクトからは外れる作品なのですが、内容がこの上なく「物語散歩」に適していますので、ご紹介したく思いました。 

 物語の冒頭で、地下鉄丸ノ内線四谷三丁目駅で下車し、外苑東通り(画像)を北上する女性の姿が描かれています。26歳の末花詞織(すえはな・しおり)は、都内某図書館の臨時職員でしたが、人件費削減によりお払い箱。新宿区内の図書館で司書を募集していると知り、採用面接に向かっています。面接の約束時間は午後の11時という指定です。

 時刻が遅いのも道理、そこは妖怪が運営する図書館でした。場所は新宿区の舟町にあります。ただ、通常の方法では行き着くことができません。図書館の名前を「新宿本姫(ほんひめ)図書館」と言います。

 

 この図書館については新宿に残る伝説をうまく踏まえて設定されていますので、少し詳しく紹介させてください。

 「本姫」というのは新宿区舟町の全勝寺(下画像)に関する伝承に名前が出る女性。読書好きのお姫様だったようで、新宿区教育委員会の『新宿の伝説と口碑』(1968)などによれば、亡くなった後、墓前には多種多様な本を収めた蔵(文献によってはお堂)ができ、その中の書籍は人々に無料で貸し出されたそうです。今の図書館のような仕組みですね。 

 詞織が面接に訪れた図書館は、本姫のその蔵を前身としているところでした。現在では妖怪ばかりがそこを利用しています。本姫ではなく、館長代理かつ唯一の正規職員として「牛込山伏町(うしごめやまぶしちょう)カイル」という男性が図書館の業務一切を行っています。正真正銘の人間である詞織はカイルから事情を聞き、間違ったところに来てしまったと恐れます。ただ、図書館では経験のある司書がほしい、詞織は司書の仕事が欲しい、ということで、とりあえず試用期間として4ヶ月働くことになりました。

 物語を面白くさせているのは、図書館に訪れる、それぞれ個性的は妖怪変化たちです。すべて新宿周辺の伝説に登場するという共通点を持っています。たとえば第一話に出てくる老人。その本性は市ヶ谷富久町に出現し、渡辺綱に退治されたという化け蜘蛛です。地域の伝承を知っている人なら、物語を読む楽しみがさらに増すと思います。

 舟町に行った次は、外苑東通りを渡り、荒木町に行きましょう。松平摂津守の上屋敷から、庶民の訪れる景勝地へ、そして花街へと、姿を変えつつ栄えてきたエリアです。現在ではその地形のユニークさなどでかなり脚光を浴びている場所ですね。警察小説の傑作である佐々木譲『地層捜査』(文藝春秋・2012)など、多くの作品に描かれています。その中から一つ紹介しましょう。

 

柚木麻子『あまからカルテット』(文藝春秋・2011)

中学時代からの仲良しアラサー女性4人の話で、章ごとに中心人物が変わります。「はにかむ甘食」では、素人料理のブログから次第に人気が出て、料理本を出すまでになった深沢由香子(ふかざわ・ゆかこ)が主人公。ネットの掲示板に並んだ、自分への批判を見てショックを受け、引きこもってしまいました。レシピが全て他からのパクリだという批判が特に彼女を落ち込ませます。彼女自慢の甘食も、少女の頃に食べた思い出の味が元になっていました。親友3人は、その思い出を手がかりに、彼女の思い出の甘食を作ってくれた人を探そうとします。どうやらその場所は荒木町のようです。3人にとって初めて訪れる場所。街の雰囲気を大いに気に入り、はしゃぎながら歩いていきます。人捜しの手がかり、うまく得られるでしょうか。

 

 新宿通りに戻り、さらに南下しましょう。映画「君の名は。」で「聖地」となった須賀神社を訪れようと思います。四谷の総鎮守で、主祭神はスサノオノミコトとウカノミタマノミコトの2柱です。1836(天保7)年に完成し奉納された三十六歌仙絵が社殿内に掲げられていて、区指定の有形文化財となっています。ここでは映画とは別の物語で散歩することにします。

 

内山純『ツノハズ・ホーム賃貸二課にお任せを』(東京創元社・2017)

 株式会社ツノハズ・ホームは約300名の社員を有する業績好調な会社で、本社は西新宿にあります。そこに勤める澤村(さわむら)は2年前に総務部から賃貸営業部に回りました。彼は嘘が苦手なので営業トークがヘタです。彼の仕事上のパートナーとして新しく配属されたのが入社4年目の美人社員・神崎(かんざき)くらら。仕事がこの上なく早く、無尽蔵の体力の持ち主でした。後輩ながら先輩の澤村をこきつかう神崎くらら。彼はこっそり神崎くららにデビルというあだ名を付けます。

 澤村の数少ない顧客の1人に、70代のおだやかな女性・山本マサさんがいます。荒木町にある木造2階建てのアパートのオーナーです。神崎くららもそつなくマサさんと仲良くなり、彼女に付き合って須賀神社にお参りに行ったりしています。そのマサさんのアパートで部屋がひとつ空いたようだ、という情報が神崎からもたらされました。澤村にとっては全く知らない、連絡を受けていない内容でした。マサさんに電話をしてみると、確かに1部屋空きが出たとのこと。2階には以前から1部屋空きがあり、これで空き部屋は2つになりました。それらの募集をどうするのかと聞いてみると、澤村に頼むつもりはない、と言われてしまいました。別の仲介業者に仕事をさらわれてしまったのかと、彼は大変に落ち込みます。ただ、神崎くららの収集してきた情報によれば、少々気になる点がいくつかありました。

 

 寺社が多く存在するエリアです。ここまで来たからにはもう少し歩を進めてみたくなります。南に下る細い坂道がありました。行ってみると、坂の途中から、向こうにそびえる巨大な建物によって日が遮られ、急に暗くなってしまいました。坂の名前を闇(くらやみ)坂と言うそうです。雰囲気によく合致している坂名だと感じました。

 

橘川幸夫『風のアジテーション』(角川書店・2004)

1960年代における新宿周辺の具体的な描写が豊富です。実在する(実在した)店や施設も多く紹介されています。冒頭に闇坂が登場していました。

 物語の中心人物の一人・源太郎は、この闇坂のすぐ近くで生まれ育ちました。成長した彼はやがて大学に入ります。学生運動の熱い風が吹いている時でした。若者たちには理想があり、理想の実現を妨げている相手について明確に意識ができる時代でした。源太郎もその熱風を体に受け、次第に自らの立ち位置を見いだしていきます。

 青年時代は気の置けない友人を簡単に作れる貴重な時期です。村町真(むらまち・まこと)や芦田光介(あしだ・こうすけ)も、ふとしたきっかけで源太郎が得た友人たちでした。真は東洋大学に籍を置く学生活動家。一方、光介の方は学生でも社会人でもありませんでした。心揺るがすようなアジテーションを求め、大学を回っているのだと言います。年上の既婚者とつき合っているそうで、何やら不思議な男でした。源太郎は光介に大いに興味をひかれます。

 

 新宿通りに戻り、JR四ッ谷駅方向に歩きます。四ッ谷駅近く、新宿通りに並行して、しんみち通りという商店街があります。古くは井上ひさし『ナイン』(講談社・1987)にも描かれた通りです。今回はこの通りのはずれにあると設定されている「めぐみ食堂」に行ってみましょう。山口恵以子『婚活食堂』での話です。

 

山口恵以子『婚活食堂』(PHP研究所・2018)

 「食堂」とありますが、実際はおでん屋さんです。女将は玉坂恵(たまさか・めぐみ)、50歳。彼女はかつて、マスコミにも知られた有名占い師でした。他の人に見えないものが見える、という特殊能力を生かした仕事です。きっかけは高校時代に占い師のアシスタントのバイトをしたこと。「原宿の母」と呼ばれた女占い師・尾局與(おつぼね・あたえ)でした。與は恵の力を気に入り、独立させました。與に恩義を感じている謎の男・真行寺巧(しんぎょうじ・たくみ)も金銭面で恵を援助します。ある悲劇によって全てを失い、占いの館を閉めざるを得なくなってしまいます。不思議な力も同時に消えてしまいました。しばらくの空白時間を経た後、たまたま入った店がしんみち通りの「めぐみ食堂」でした。彼女が入ったその日は、なんと「めぐみ食堂」閉店の日。縁を感じた恵は、料理屋の経験がないにもかかわらず、その店を買い取る決心をし、新しくおでん屋として開店しました。

 常連客もできました。彼らの中には、結婚に関して何らかの悩みを持つ人たちが多くいます。その悩みを解決できるのか、が読みどころです。玉坂恵の特殊能力もすこ~しだけ復活してきたようです。

 

 JR四ッ谷駅入口のすぐ先に架かっているのが四谷見附橋です。新宿区と千代田区とを結びます。現在のものは1991年に新しく掛け替えられた橋です。 

伽古屋圭市「帝都探偵 謎解け乙女」(宝島社・2013)

 1919(大正8)年の東京が主な舞台です。四谷見附橋も出てきますが、こちらは1913(大正2)年完成の、先代の橋となります。欄干の一部が新宿歴史博物館の入り口前に展示されています。

 物語の「俺」は富豪・仁井田(にいだ)家お抱えの人力車夫です。ある日、仁井田家の三女・菜富(なとみ)から「名探偵になることに決めた」と宣言されて面食らいます。菜富は「俺」より1歳年下で高等女学校に通う17歳。どうやらシャーロック・ホームズの活躍する小説を読んで影響されたようです。

 「俺」は仁井田家に恩を感じています。菜富お嬢さんがそう言うならと、協力を惜しまない決心です。

 すると渡りに舟、依頼がいくつか舞い込んできます。3番目のそれは奇妙でした。依頼人は自らのことを未来から来た人間だと言います。1917年に起きたロシア革命において、超重要なものを託された日本人がいたそうで、依頼人にとっては過去にあたるこの時代でその人物を探し出したい、と言います。未来から来たということ自体「俺」には全く信用のできない話です。でも菜富お嬢さんは大いに乗り気。必ず捜し出しましょうと力強く言い切ってしまいました。

 依頼人によれば、捜し出したいその人物は四谷界隈に住んでいるのだとか。彼らは四谷見附橋で待ち合わせをしました。これから手分けをしての捜索が開始されます。