六本木周辺物語散歩です。

 今回(2019年)の散歩はコースと時間の関係で、六本木駅周辺をほとんど紹介できませんでした。しかしこのエリアは実に魅力的な作品にあふれているところです。2013年に当時の生徒と物語散歩した時の資料を下敷きに、六本木周辺を巡ることにしましょう。

 

地下鉄六本木駅と「ドルシネア」へようこそ

 六本木には、都営地下鉄大江戸線と営団地下鉄日比谷線との2路線が存在しますが、宮部みゆきの初期の短編集『返事はいらない』(平成3・1991)所収「ドルシネアヘようこそ」には、日比谷線しかなかったころの六本木駅の様子が描かれています。

 

 この作品では駅の改札前に置かれた伝言板が重要な役割を果たしています。(でも、駅の伝言板なんて、今はもう見つけられないですね)

 

 週1回、アルバイトの為に六本木に降りる篠原伸治は速記学校の学生です。時間的にも経済的にも余裕がない伸治は、六本木で遊びまくる若者とは全く別世界の住人。速記技能検定1級に何とか受かろうと努力しつつ、毎週金曜日に、六本木でテープ起こしという地味なアルバイトをしています。そんな彼の密かな気晴らしは、六本木駅の伝言板に「ドルシネアで待つ 伸治」と書くこと。

 「ドルシネア」というのは六本木通り沿いにあるディスコ(クラブ)で、店員が服装チェックをして客を選ぶというシステムをとっています。もちろん、伸治はその店に行ったこともなければ、待ち合わせをするような彼女もいません。しかし、伝言板にそう書くことによって、華やかな六本木の週末に、ひとりぼっちで仕事をしなければならないという寂しさを少し消すことができるのです。ところがある日、考えられないことが起きました。読んでくれる相手がいないはずのその伝言に、女性の字で返事が書かれています。

 

 佳品です。ところで、篠原伸治がアルバイトで通う速記事務所はこの近くだそうですので、伸治の後についてちょっと行ってみましょうか。

 

 俳優座劇場→三河台公園手前を左折→中学校がある→すぐ近くの三階建ての小さいビル

 

 このビルの二階にある「三輪総合速記事務所」が伸治のアルバイトをする場所です。

 

 伸治が名前を書いた「ドルシネア」というディスコは実在のものではありません。上のコースに記した「中学校」ですが、かつて港区立の三河台中学校がここにありました。ですがこれも今はありません。その跡地には麻布警察署ができています。

 

出雲大社東京分祠と『火刑都市』

 六本木の交差点から六本木ヒルズに向かうように右折します。しばらく歩いた右手の路地を曲がります。その左手に、ビルの上が神社になっているという不思議な建物が見えます。駐車禁止の看板には「出雲大社東京分祠」とかいてあります。ここは島田荘司『火刑都市』(1984・昭和59)において重要な役割を果たした場所です。江戸・東京の失われゆく水路を惜しみ、開発を憎んだ者の放火犯罪を描いたのがこの作品。

 

 放火事件が起こります。発端は新宿区四谷の雑居ビルでした。警備員が焼死します。警備員の体内から睡眠薬が発見され、死因に疑問がもたれます。聞き込みから、警備員には最近彼女ができたことがわかりました。でも、当の女性は失踪。被害者の部屋からは手がかりとなるものがいっさいなくなっていました。「寒子」と書かれたメモのみがみつかりました。「寒子」とは何でしょう。

 

 放火は続きます。放火された建物の壁には「東亰万歳」の文字が残されています。「東亰(「とうけい」と読みます)」とは何なのでしょう。出火は施錠された密室からで、これも謎です。放火はなぜか曇天の日に行われます。部屋の施錠から出火までの時間は、季節によって異なり、寒いときは長く、熱いときは短い。なぜでしょう。

 

 「寒子」の正体や、放火の秘密は最後に一気に明らかになります。東京の地名もふんだんに盛り込まれ、内容的にもすばらしい名作です。

 

芋洗坂と『行きずりの街』

 六本木通りの一つ南側にある道を歩きます。右側にライブレストランのスイートベイジル139があります。ここで道は二手に分かれます。一方はそのまま下る坂。もう一方は外苑東通りに出る上り坂となっています。

 この二つの坂、上り坂のほうを饂飩坂といい、下り坂を芋洗坂といいます。饂飩坂という名称の由来は、すぐ近くに立っている案内柱によれば、天明(1781~1789)年間の末頃まで、松屋伊兵衛といううどん屋があったからだそうです。

 これに対して芋洗坂の名称の由来については謎が多いようです。付近で芋を売っていたから、という単純明快な説ももちろんありますが別説もあり、名称の謎は完全に解けてはいません。

 

 この芋洗坂が重要な意味を持って出てくる作品を一つあげましょう。

志水辰夫『行きずりの街』(1990・平成2)です。これは1992年版の「このミステリーがすごい!」で第1位をとった作品です。

 

 主人公・波多野は地方の田舎町で私塾を経営している40代の独身男性です。彼はある女性の消息を知る目的で上京します。その女性の名は広瀬ゆかり。彼のかつての教え子です。ゆかりの父親は早く死に、母親は出奔。祖父母によって育てられましたが、その寂しさからか、波多野の元によく通って、心のよりどころとしていました。地元の高校を卒業後、東京の専門学校に入学したものの、まもなく音信がなくなります。折も折、ゆかりの祖母の病が重篤であるので、探して欲しいという依頼があり、波多野は少ない手がかりを元に、彼女が住んでいるという元麻布のマンションを訪ねましたが、彼女は既に姿を消していました。このマンションは、波多野にとってはかつての勤務先である敬愛女学園の近くにありました。実は彼はこの敬愛女学園を追われた身です。教員時代、教え子と愛し合う関係となり、卒業後結婚したのですが、それが大問題となって辞職に追い込まれたのです。その女性・雅子とも離婚する羽目になりました。

 

 この一件には、彼に関係のない、ある大きな裏の事情がからんでいるということが、ゆかりを捜索しているうちに次第に明らかになっていきます。そして、雅子とも再会することになりました。雅子は芋洗坂でバーのマダムをやっていました。

 

 そして彼女もまた、ゆかりの失踪事件に大きく関係していくことになります。はたしてゆかりはどこにいるのか、そして失踪の理由は、波多野が学園を追われることになった真の理由とは何なのか、などなど、名手・志水辰夫の巧みなストーリー展開に、我々はぐいぐいと引き込まれてしまいます。時の経つのを忘れて読み入ってしまう作品です。

 

 物語は麻布・六本木・広尾などを中心に展開します。それぞれの場所が重要な役割をもち、そしてそれらの街の空気が丁寧に描き込まれているので、物語の中で街そのものも生き生き躍動をしているように感じられます。

 

飯倉片町交差点と小山薫堂

 飯倉片町の交差点に向かいます。この交差点では信号を使わず、設置された連絡通路を利用します。中にちょっとした仕掛けが施されて楽しいからです。入るときには階段を下ったこの通路ですが、反対側へは階段なしに出られます。土地の高低差の関係です。通路を抜けた右側にはとても魅力的な集合住宅が建っています。「スペイン村」とも呼ばれています。

 

 ここから外苑東通りに戻るためには坂を上りますが、その左手に「キャンティ」という、イタリアンレストランがあります。創業は1960(昭和35)年。店のホームページにはその歴史が詳しく示されています。小山薫堂『フィルム』(2006・平成18)の中の一編「ラブ・イズ……」の重要な舞台となる店は名が示されませんが、ここがモデルでしょう。

 

 レストランプロデューサーの三枝竜平は経済的に余裕ある立場にいます。恋愛に関しても、彼はいつも勝利者でした。しかし44歳の現在、彼は恋愛に飽きていました。

 ある時彼は、飯倉片町交差点近くの老舗イタリアンレストランを初めて訪れました。たまたま隣の席に座っていた70代の老婦人二人の会話に彼は興味を引かれます。共に豊かな生活をしているらしく、特に郁子と呼ばれた一人は恋愛に関しても現役のようです。

 後日、竜平は偶然、先日の老婦人のうちの一人を見かけました。絹江と呼ばれていた、元モデルだった女性です。竜平は、急に興味がわきあがり、この女性を口説いてみようという気になりました。「ラブ・イズ・ゲーム」、竜平のこの恋愛観がしむけた行動でした。

 

 『フィルム』には他に青山の紀ノ国屋や芝の丸山古墳などが描かれ、思わず物語散歩に出かけたくなってくる、つぶぞろいの短編小説集となっています。

 

東京天文台跡 と『麻布ハレー』

 先に進んで飯倉交差点です。ここから歩いて間もなくの場所に、かつて東京天文台がありました。現在の地名は麻布台2丁目です。1888(明治21)年に東京帝国大学理科大学付属の施設として発足、関東大震災の後、三鷹に移りました。

   

 松久淳と田中渉『麻布ハレー』(2017・平成29)は、ハレー彗星の出現にまつわる物語。約76年の周期をもつ彗星だけに、物語も複数の時代にまたがっています。1910(明治43)年の物語には、前述の東京天文台も描かれていました

 

 24歳の佐澤國善は岩手県の早池峰の出身。作家を志していますが、芽が出ません。下宿代も滞りがちです。下宿している家には、栄という8歳の少年がいました。好奇心にあふれた賢い子で、家の近くにある東京天文台に行くのが大好きです。國善は栄の親に頼まれ、栄が天文台に行く時の付き添いをすることになりました。

 栄は天文台の職員たちから多くの知識を吸収しますが、國善にはよくわかりません。でも國善には別の楽しみがありました。天文台で事務作業をする藤崎晴?に会うことです。國善は彼女に淡い恋心を抱きます。でも彼はそれを告げられません。話すのが苦手なのです。

 ある日、國善は天文台の職員などに、昔故郷で聞いた彗星に関する伝承を語る機会がありました。普段の話し下手はどこへやら、その語り口は絶妙で、皆は思わず聞き入ります。その場にいた1人の男が國善の話をもっと聞かせてくれないかと言ってきました。政府の役人だそうです。

 

 この役人の意図、國善の将来や恋の行方などをはじめとして、大いに堪能できた物語でした。登場人物の名前にも楽しい仕掛けが施されています。

 

 麻布の東京天文台の跡地には、日本経緯度原点とその案内標示もあります。

 

島崎藤村・梶井基次郎旧居跡

 もと来た道を戻り、植木坂を下っていくことにします。この坂を下りたすぐ右側に、島崎藤村の旧居跡があります。また、島崎藤村の旧居跡からすぐ先のところには、梶井基次郎と伊藤整・三好達治らが住んでいた下宿がありました。

 

鼠坂と「麻布ねずみ坂」

 植木坂の先は道が細くなっていますが、そこにも坂があります。表示板を見ると鼠坂としてあります。江戸の人は、細い坂道を鼠坂と呼んだようで、ここ以外にも2カ所ほど残っていて、文京区の鼠坂は森鴎外の小説にも描かれました

 

 ここ麻布の鼠坂を舞台に事件が起こるのが、池波正太郎『鬼平犯科帳』の中の「麻布ねずみ坂」(1969・昭和44)です。

 

 幕府火付盗賊改方の長官、鬼平こと長谷川平蔵は、疲労した体の指圧を名人・中村宗仙に頼みました。彼は名人で、沢山の金を稼いでいるはずなのに身の回りは質素で、稼いだ金をどうしているのだろうという謎があります。ここから事件が動いていくのですが、この中村宗仙の住まいがあるのが麻布の鼠坂でした。