吾妻橋周辺物語散歩

吾妻橋と身投げ話

 吾妻橋は台東区花川戸1丁目と墨田区吾妻橋1・2丁目とを結ぶ橋で、旧名は大川橋と言いました。1774(安永3)年の創架です。現在の橋は、1928(昭和3)年に架け替えられたもので、その後大幅な改修工事が行われました。

 

 ここでは、あまりおだやかではないですが、吾妻橋に関連する身投げ話を新旧2つ紹介しましょう。

 

「文七元結」

 古い方は落語の世界から。

 「文七元結」という題目の噺があります。原作者は名人三遊亭円朝で初演は1889(明治22)年でした。「新ちくま文学の森」シリーズの一つ『人情ばなし』(1994・平成6)の中に活字化されたものが入っていますが、ここでは三代目古今亭志ん朝の語りをもとに紹介いたします。

 

 左官の長兵衛は腕の良い職人ですが、博打(ばくち)にはまって借金がかさみ、どうにもなりません。娘のお久(ひさ)は見るに見かね、新吉原の苦界に身を沈めて親を助けようとします。幸い、お久がすがった大楼・佐野槌(づち)の女将(おかみ)は話のわかる人物で、長兵衛を呼んで説教をし、50両のお金を無利子で貸してあげました。条件は翌年の大みそかまでに返済すること。それを過ぎると、お久はお客を取ることになります。

 長兵衛もさすがに反省し、必ず迎えに来ると約束して、佐野槌を後にします。

 帰途、吾妻橋にさしかかると、橋から身を投げようとしている若者がいました。長兵衛はすんでのところで引き留め、理由を聞きます。若者は横山町にある鼈甲(べっこう)問屋の手代。この日、彼は近くにある水戸藩の下屋敷に掛売りのお金をもらいに行きました。ところが帰り道、枕橋の上で怪しい男にぶつかられ、懐に手をやると、お金がなくなっていたそうです。

 

 とられたというお金は50両でした。なんと長兵衛の懐にある、大事なお金と同額です。死んでわびると言って聞かない若者を前に、江戸っ子長兵衛の心は迷いに迷います。

 

 

 水戸藩の下屋敷は、現在隅田公園などになっています。大小二つの橋が隣り合っていたことからそう呼ばれた枕橋ですが、小橋の方はすでに失われ、現在では北十間川の河口に架かる一つの橋のことを枕橋と呼んでいます。

 

森真沙子『東京怪奇地図』

 もう一つは現代もの。森真沙子の小説『東京怪奇地図』(1997・平成9)の「水妖譚」を。

 

 物語のきっかけが吾妻橋でした。梅雨のある夜、大学に勤務する岡部秋人は雨に煙る橋の上で、黒い人影が川に飛び込むのを見ました。岡部は急いで橋を渡り、川岸から手をさしのべて、相手を救出するのに成功します。

 少女でした。ジーンズの下は素足です。奇妙なことに、自分が飛び込んだのは言問橋だと言います。

 岡部も不思議な思いに襲われます。橋上で見た黒い影は赤ん坊を背負った女性のように見えたからです。少女は岡部がタクシーを拾いに離れたほんの少しの間に姿を消してしまいました。岡部は警察署に行き、事情を説明して帰宅することにします。

 翌日警察から、言問橋に女物のブーツが脱ぎすてられていたという連絡が入りました。少女が素足だったことと合致します。それでは吾妻橋の上で見た人影は一体何だったのか。疑問は増すばかりです。

 

 7月、岡部は研究室にかかってきた電話に驚きます。あの少女からでした。岡部は少女と会うことになります。言問橋で待ち合わせた2人。この後の展開が気になります。

 

 

 

伊集院静「あづま橋」

 この吾妻橋の袂で人を待つ女性・衣津子の姿から語り始められるのは、直木賞作家の伊集院静の短編作品、その名も「あづま橋」(同名書所収・1993)です。

 

 この話の主人公である衣津子は、少女時代に両親を亡くし、今は仲見世通りの和菓子屋に勤めています。衣津子はその家の親戚に当たる男性・松井豊に想われ、その求婚を受けています。今、彼女が吾妻橋にたたずんでいるのは、彼と待ち合わせをしているからなのですが、彼女は豊の求婚を断るつもりです。実は、彼女には忘れることの出来ない一つの過去がありました。

 

東武線の鉄橋と原田マハ「ながれぼし」

 目を隅田川の上流方向に移すと、東武スカイツリーラインの鉄道橋が見えますね。橋のすぐ西側で線路は大変急なカーブを描いてターミナルの浅草駅へと続きます。電車は橋をゆっくり渡るので余裕を持って隅田川の風景を楽しめます。橋の開通は1931(昭和6)年です。

 

 原田マハ「ながれぼし」『東京ホタル』〈2013・平成25〉所収)の中にもこの鉄道橋を見ることができます。ホタルを模した青く光るLED約10万個に願いを込め、夜の隅田川に流すイベント「東京ホタル」をめぐる、5人の作家による物語の1つです。

 

 主人公の流里には7年来の交際になる恋人・志朗がいます。何となく付き合いが始まり、初デートも初キスもごく自然な流れの中でのことでした。結婚もできればこれまで同様に地味に済ませたいと流里は考えていました。

 彼女は志朗との境遇の差を気にしています。一人っ子の流里は両親が離婚して母は行方が分からず、彼女を育てた父も亡くなりました。それに対して名古屋出身の志朗は、何の不自由もない資産家の息子。彼の家族は流里を気に入ってくれているように見えますが、本心でどう思っているのかはわかりません。

 流里が妊娠しました。3ヶ月です。鬼怒川温泉行き東武電車が先述の鉄道橋を渡りきった直後、流里は志朗に告げました。それに対し志朗は、しっかりとしたプロポーズで応えてくれました。この上ない幸せを感じた流里です。

 訪れた鬼怒川温泉。流里は仲居さんを見て驚きました。12年ぶりの再会となる母だったからです。物語に大きな動きが生まれそうです。

  

 この短編の中で東武線の鉄道橋は3回描かれました。その時の電車には全て流里が乗っています。ただ、彼女の感情はそのたびごとにかなり異なっていました。最も重要なのはラストの場面。隅田川に広がる「東京ホタル」を見ている時の流里の心情です。 

 

 

 水上バスと日影丈吉「吉備津の釜」

 吾妻橋のたもとに水上バスの発着所があります。東京都観光汽船(株)が経営するものです。

 日影丈吉が1959(昭和34)年に発表した ミステリー「吉備津の釜」では、主人公・洲ノ木はここ浅草で水上バスを降りました。彼が乗り込んだのは新橋近くにあった発着所。当時は新橋の下を汐留川が流れていて、そこからも船に乗ることができました。

 

 洲ノ木は、始めた事業が行き詰まり、金に困っていました。しかし幸いにも、新橋の飲み屋で知り合った川本という男から、ある人物を紹介してもらうことになりました。資産家で他人の面倒をよく見てくれる人物だと言うのです。

 洲ノ木は川本から紹介状をもらい、江戸川区の今井にあるその男の家を訪ねることになりました。約束の時間はまだ先で、洲ノ木は新橋から水上バスで浅草に出て、夕飯を食べてから向かうことにしました。

 水上バスの中で洲ノ木は、かつて近所に住んでいた一人の祈祷師を思い出します。その祈祷師は「吉備津の釜」と呼ばれる術を使いました。呪文を唱えると釜がひとりでに鳴り出す、という術です。茨城県出身のこの祈祷師は、口承伝承の類をよく知っていました。洲ノ木の頭の中に、かつて彼から聞いた話のいくつかがよみがえります。

 ところが洲ノ木は、その中の一つの話が次第にとても気になってきました。その物語と現在自分が行おうとしていることとが、似通っているように思えてならないからです。

 

『朝顔男』と浅草地下商店街

 吾妻橋を渡った右側に見えるのが東武スカイツリーラインの始発駅・東武浅草駅のある松屋ビルです。

 松屋ビルのすぐ手前に、地下に降りる階段があるので入ってみましょう。この階段は東京メトロ銀座線の浅草駅改札に通じていますが、我々の目的はそれではなく、この地下道に存在する浅草地下商店街です。食堂あり、理髪店あり、占いの館ありと、昭和の雰囲気を色濃く残しているエリアです。

 

 唐十郎の小説『朝顔男』(2009・平成21)や香取俊介『いつか見た人』(200・平成12)にも主人公がこの地下街を利用する場面が描かれていました。