門前仲町・清澄白河散歩です。

(深川文学散歩)

 深川は歴史小説が似合うエリア、と言えるかもしれません。宮部みゆきや山本一力の作品を思い浮かべる方も多いことでしょう。それを承知の上で、あえて現代ものに絞ったならばどれくらい作品を得られるだろうか、という視点で探ることにしました。コロナで物語散歩ができなくなる前からあたためていたコースで、散歩が可能な数の作品をなんとか集めることができましたので、2023年3月14日に実施しました。参加生徒は17名。理想的な数です。

 まずは散歩地図をお示しいたします。作品選択の条件は他のコース同様、場所の詳しい描写があること、「実際にその場所を歩く」ことができるような記載があること、です。

 3時間強という制約で行いましたので、地図に示したエリア(北は小名木川、南は大横川、東は三ツ目通り、西は隅田川)を全て巡ることはできず、木場公園や洲崎神社などは後日の機会に譲ることにしました。

 ご覧いただければ幸いです。

 集合場所である地下鉄の門前仲町駅。門前仲町という名は、江戸時代にこの近くにあった永代寺という寺院の門前町として栄えたことに由来します。永代寺は明治始めに廃されました。現在深川公園になっている場所ですので、後で行ってみましょう。まずは大横川を渡ります。

 

『ちりかんすずらん』と黒船稲荷神社

 渡る橋は黒船橋です。渡った先、江東区牡丹1丁目に黒船稲荷という神社があります。うっかり見のがしそうなこぢんまりとしたお社ですが、境内の案内標示には興味深いことが記されています。四世鶴屋南北が最晩年を過ごした地なのだそう。『東海道四谷怪談』の作者です。

 神社は以前、浅草の黒船町にあったものが享保17(1732)年、火事によりこちらに移ったとのこと。

 

 黒船稲荷社ができるにあたっての伝説があります。

 藤原秀郷はある夜、霊夢を見ました。大海原に財貨を沢山積んだ黒船が浮かんでおり、左右に白狐を連れた神が秀郷に向かって「自分は倉稲魂であり、汝がいつも信仰をしている故に示現した。入間川の川辺に白狐が在住するところが我が有縁の地である」と告げます。入間川とは現在の隅田川です。秀郷が川の周囲を見てみると果たして白狐がおり、石の上にうずくまっていました。白狐は秀郷の姿を見て走り隠れてしまいましたが、彼はその石をご神体とし、夢で見た神の像を造って、白狐のいた場所に社殿を造営して祀りました。

 

 安達千夏(あだち・ちか)『ちりかんすずらん』(2009・平成21)は、しっとりとした味わいを感じられる連作小説集です。この中の「ちいさなかぶ」の章に黒船稲荷が描かれていました。

 

 主人公「わたし」は、母と祖母の女性3人で暮らしています。父はそこにいません。母と別れ、南米で新しい家族と暮らしているからです。祖母は父の母親ですが、3人の心のつながりは強いものがあります。3人とも恋愛に関してみな現役なのが面白い。

 春の宵、1匹の小さな犬が迷い込んできました。人なつこく、一通りの芸をこなします。祖母はすっかり犬にメロメロ。その背中の模様から「カブ」と名付けてかわいがります。

 どこかで飼われていたことは確実のようです。「カブ」がすっかり気に入ってしまった祖母もそれを重々承知のようではあるものの、明らかに手放したくなさそうです。

 一方、母は犬が苦手な人でした。案の定、「カブ」を見て腰が引け気味です。ただ、今までとは少々様子が違うことに「わたし」は気づきました。母の変化には何かわけがありそうです。

 そんな母をあるトラブルが襲いました。たまたま祖母が不在の時です。母がカブをつれて散歩に出ると途中で雨が降り出しました。早く帰ろうと、いつもは通らない黒船稲荷の前にさしかかった時、地響きのような雷鳴が。驚いたカブはリードをごと逃げてしまいました。

 

 この母が苦手なものは幽霊と税務署だそうです。「ちいさなかぶ」の章では、そんな母を怖がらせるかのように、怪談に関わる複数の場所が記されています。実はすぐ近くにもありますよ。

 

『水辺の通り魔』と牡丹町公園

 黒船稲荷神社のすぐ近くに広々とした公園があります。牡丹町公園と言います。ここの地名が江東区牡丹。江東区のサイトでは、「江戸時代は、海岸を埋め立てた土地であった。昔、このあたりに牡丹を栽培する農家が多かったので、牡丹町と名付けられた。また現錦糸町あたりの牡丹園の職人が多く住んでいたので、この名が起こったともいう」という説明がありました。

 

 この公園が物語の重要な舞台となるのが本岡類(もとおか・るい)『水辺の通り魔』(1996・平成8)です。

 この周辺で傷害事件、殺人事件が複数発生しました。若い新聞配達員は中央区佃の路上で、OLはこの公園のトイレにおいて、それぞれ出刃包丁で刺されました。OLは死亡、新聞配達員は一命を取りとめましたが、自分を襲おうとした犯人の気配を全く感じなかったと言います。

 

 調査していくうち、これらの事件が、その前に発生した事件に関連するのではという可能性も追究されはじめます。その事件では元暴走族リーダーが襲われました。凶器はボウガンでした。

 

 被害者同士の繋がりは見えません。通り魔的な犯行といえます。事件に共通するのは、犯行時刻が午前5時30分頃であること、被害者が20代の若者であることなど。もう1つ、3つの事件が24日周期で発生していることも特徴です。この24という数字は単なる偶然の産物ではなく、犯人像と大きな関係がありました。

 

『橋をめぐる』と石島橋

 ここでまた大横川を渡りましょう。渡る橋は石島橋です。橋の親柱にまつぼっくりのデザインがありますね。柵も松葉の模様が施されていて、松をデザインの中心に置いているようです。

 

 橋本紡(はしもと・つむぐ)の連作短編集『橋をめぐる いつかのきみへ、いつかのぼくへ』(平成20・2008)の舞台は、江東区清澄や白河など、いわゆる深川の地です。6つの物語はそれぞれ橋名が題名となっています。清洲橋や永代橋など、よく知られた橋も登場しますが、地元の人でないとあまりわからないだろうと思われる橋もタイトルになっています。この石島橋は後者でしょうか。「まつぼっくり橋」という章に登場します。

 

 美穂と哲也は結婚を控えたカップルです。新居を探すために深川にやって来ました。哲也の大学時代の友人・西村が不動産屋に勤めており、その案内で物件を紹介してもらう予定です。哲也も西村も大学では建築を学んでおり、街を歩く途中でも、意匠のすぐれた建物を前にすると話がはずみます。もちろん今は2人とも社会人。学生時代と全く同じというわけにはいきません。美穂は建築を学んでいた西村がなぜ不動産屋をしているのかが気になりました。

 

 さて石島橋を渡った哲也、橋のデザインが大いに気になったようで、「まつぼっくり橋」と命名してしまいました。その先で案内された物件ですが、最初のものは美穂が気に入らず、次のは哲也が難色を示しました。西村が3番目に案内したのは、川に面した一戸建ての平屋でした。家主が事情で手放すことにしたもので、大切に住んでいたことがわかる物件でした。どうやら西村のイチ推しのようです。美穂も哲也も大いに気に入りました。めでたく契約へ、と進みたいところですが…。 

 

『白鳥とコウモリ』と永代通りのお店

 石島橋を渡ったすぐ先は大通り。永代通りです。東野圭吾(ひがしの・けいご)『白鳥とコウモリ』(2021・令和3)の冒頭近くで、殺人事件の犯人を追う刑事が立ち寄る場所として、永代通りにある2軒の店が描かれています。1軒は深川飯を出す炉端焼き屋。1軒はチェーン店のコーヒーショップです。

 

 竹芝桟橋の近くに置かれた車から男性の遺体が見つかりました。殺人事件です。被害者は白石健介(しらいし・けんすけ)という弁護士でした。彼のスマートフォンは清洲橋たもとの隅田川テラスという遊歩道で発見されました。ここが殺害現場のようです。GPS機能で、殺された日の彼の動きが明らかになります。富岡八幡宮東隣のコインパーキングを利用していました。

 物語のかなり早い段階で、容疑者と目される人物が刑事に、自分が白石を殺害した、と告げます。殺害の動機は蓋然性があり、矛盾はありません。裁判が開かれるのを待つ形となりますが、物語はここから新たな展開を迎えます。

 

 事件を担当した、五大と中町という2人の刑事が門前仲町で食事を取る場面があります。それが前述の炉端焼きの店です。彼らはその後、その店から50㍍ほど離れたところにあるコーヒーショップに入りました。この2軒のうち、炉端焼き屋についてはここがモデルではないか? と思えるようなお店があります。

 

『水のかたち』と深川公園

 深川公園に入りましょう。明治6(1873)年に作られた公園で、日本最初の公園の一つです。

 宮本輝(みやもと・てる)の長編小説『水のかたち』(2012・平成24)の主人公・能勢志乃子はまもなく誕生日を迎える49歳。6年前に杉並区から江東区に引っ越してきました。門前仲町は生活圏で、3階建てのビルの1階をテナントとして貸し、その上階に住んでいます。夫は自営業。夫が客としてよく行っていたのが、小名木川の西深川橋(画像)近くにある喫茶店「かささぎ堂」です。喫茶店とはいえ、メニューはカレーとコーヒーのみ。72歳の老婦人が1人できりもりしているこの店は、志乃子も一度行ったことがあります。かつて古道具屋でした。

 あとひと月後に店じまいをするという「かささぎ堂」の2階には、古道具屋時代の雑貨がごろごろしています。「気に入ったものがあったら持って帰って」と言われた志乃子は、お言葉に甘え、鍵が掛かったたままの手文庫と、底の欠けた薄茶茶碗を1つ、もらって帰りました。

 ところがこの2品、志乃子の手にわたるや意味を持ち始めました。今まで想像もできなかった方向へと彼女を連れて行きます。

 

 この作品は門前仲町周辺が舞台の1つではありますが、出てくるお店は架空のもののようです。ですが、よく見ていくと、ここのことかな? と思えるような描写にも出会えます。じっくり確かめたい小説です。前述の西深川橋深川公園はちゃんとその名が出ています。小説内で「門仲のゴールデン街」と書かれているのは辰巳新道(たつみしんどう)のことでしょうか。

 

 西深川橋の橋詰広場にはなぜか巨大なシーラカンスの像があります。今回のコースからはちょっと外れてしまい、残念なのですが。

 

『断貧サロン』と深川不動堂

 深川公園のすぐ近くにあるのが深川不動堂です。成田山新勝寺の東京別院にあたります。江戸時代、新勝寺の本尊である不動明王像の特別な開帳が先ほど紹介した永代寺で行われました。のち明治時代に、新勝寺の本尊の分霊が現在の地にまつられ、堂宇が完成しました。

 

 不動堂に続く石段に腰掛けて焼きそばを食べている女性が2人。30歳くらいでしょうか。谷川直子(たにがわ・なおこ)『断貧サロン』(2014・平成26)の西野エリカと木村さえこです。

 2人は幼なじみ。地元の短大卒業後にエリカは上京、今はキャバクラ嬢です。300万の借金を抱えて取り立て屋に追われ、地元に住むさえこを頼って逃げてきました。

 男に貢いだ結果の借金です。イケメンで、自慢の彼氏ですが、さえこからは単なる「ヒモ」に見えます。借金取りに追われてもエリカはまだ彼氏に金を与えています。

 

 ある日、東京駅でエリカが彼氏と会い、金を渡した直後のことでした。黒ずくめの女が現れ、あの男は貧乏神である、と断じました。

 女は「貧乏神被害者の会」(略称「BHK」)の者だと言いました。現代の貧乏神はイケメンに変身して女に取りつくのだ、と説明します。貧乏神か否かの判別法は、入会した者に教えるのだとか。

 さえこに促され、エリカは深川不動堂の近くにあるBHKを訪れました。会員の体験談を聞いたエリカは全く信用できませんでしたが、そこでの話を忘れきれない自分がいることにも気づきます。

 

 さえこと再びBMKを訪れたエリカ。ついに入会を決意しました。判定法は別の場所で教授されるそうです。

 2人が深川不動堂に行ったのはエリカが入会した直後でした。石段に腰掛けて屋台の焼きそばを食べ、「長い房と鈴のついた」幸せのお守りを購入。まだ不安そうな彼女を、さえこが元気づけます。

 さて、彼氏の判定結果やいかに?

 

『プラスチックの祈り』と深川不動堂

 深川不動堂に関連して、もう1篇、小説を紹介します。白石一文(しらいし・かずふみ)『プラスチックの祈り』(2019・平成31)です。

 

 主人公の姫野伸昌(ひめの・のぶまさ)は知名度抜群の小説家です。本人によると3年ほど前から様々な異変が周囲で起きているそうです。

 

 1つ目は乗っていた新幹線のシートの色が、ちょっと席を外していた間に変わっていたこと。

 2つ目は親友とも言える人気作家が突然死し、弔問に訪れた時のこと。亡くなった作家の妻の携帯電話にその作家からの着信が入りました。発信元である携帯電話は妻のバッグの中に入っており、電源も切れたままでした。誰も発信のしようがありません。

 3つ目は仕事場にしているマンションでのことです。届いたガスの検針票に記された検針員の名が、姫野の亡き妻「本村小雪」になっていました。あまりの偶然に驚く姫野。ですが、ガス会社に訊いてみると、そのような名の検針員はいないと言われます。

 さらに妙な異変があります。姫野の体の一部が「プラスチック化」するのです。一部の肉が脱色して透明化します。痛くもかゆくもありません。そしてそれは一定時期を経るとぽろり、と落ちてしまったり、また元の通常の組織にもどったり。実に不思議です。

 さらにさらに異変があります。他の人との会話で判断すると、どうやら姫野の記憶は他の人の認識している事実とは異なるようなのです。また、肝心な記憶が失せているところもあります。一体、なぜそんなことが起きるのでしょうか。

 

 作品には門前仲町の深川不動堂や深川公園が出てきます。彼の仕事場の1つがこの界隈にあるのです。門前仲町の仕事場にいるときは毎日そこに行きます。深川不動堂の存在は小雪に教えられたのだそうです。2人で参詣したとき、小雪は慣れた様子で本堂にあがり、不動尊の真言を唱えました。姫野自身も、買った車の安全祈願をここにお願いしています。かつ、午後3時の護摩行において、彼はちょっと奇妙な体験をしました。

 

『朝食亭』と富岡八幡宮

 深川不動堂の目と鼻の先には富岡八幡宮があります。江戸時代初期からの歴史を持つ大社です。ここの祭礼は「深川八幡祭り」と呼ばれ、日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに「江戸三大祭」の1つです。3年に1度、本祭りが行われます。境内にある相撲関係の碑も、飾られているみこしも共に巨大で、面白く感じます。

 

 西田耕二(にしだ・こうじ)『朝食亭』(2009・平成21)では、タイトルと同じ名の定食屋が描かれています。富岡八幡宮の近く、すぐ南を永代通りが走る路地裏にあるという設定です。

 

 開店にはまだ間がある朝の7時半、店内の長テーブルで一緒に朝食を取る10名の男女がいました。主人夫婦以外は店の常連客です。あるきっかけで、半年前からこのような食事が続いており〈朝食亭「朝一番」〉と命名されています。

 この店の主人夫婦は、交通事故で大事な一人息子を失うという辛い過去がありました。銀行員の職を捨て、調理師になるべく修行に励んでいた息子でした。夫婦の心の傷は大きく、加害者がまもなく交通刑務所から出てくるというこの時になっても、気持ちの整理がつけられずにいます。

 「朝一番」の長テーブルについている他の人たち、たとえば警察官の土田、タクシー運転手の佐藤、会社員の美沙子、小6の香織など、表には出しませんが、それぞれの事情を心に抱えていました。

 

 ある日、香織は富岡八幡宮の拝殿前で一心に祈る女性を見つけました。「朝一番」参加者の1人・絵梨香です。振り返った絵梨香の目には涙があふれていました。そそくさと境内を立ち去る絵梨香。彼女の抱える問題は、次元こそ違え、朝食亭の主人夫婦のそれと同じくらい重く苦しいものでした。

 

『橋をめぐる』と八幡橋

 富岡八幡宮の裏手にある駐車場から境内を抜け、道に沿って歩くと、遊歩道(八幡堀遊歩道)をまたいで架せられた赤い鉄の橋を渡ります。この橋を八幡橋と言います。

 江東区教育委員会が建てた案内表示によれば、この八幡橋、以前は中央区の京橋楓川に架かっていた橋で、1878(明治11)年当時は弾正橋と命名されていました。1913(大正2)年の市区改正事業により新しい弾正橋が架けられたので、古い橋は旧弾正橋と名称が変わり、関東大震災後の復興計画で廃橋となった後はここに移設され、八幡橋と改称されて今に至るとのこと。都合3度名前が変わったことになります。

 

 石島橋の時に紹介した『橋をめぐる』には「八幡橋」の章もあります。主人公の佳子も八幡橋と同様、3度名字が変わりました。結婚した時が2度目の改姓、結局離婚しましたが、その間に佳子の母が再婚し、旧姓自体が変わってしまったため、新しい名字となりました。現在は相良佳子です。

 

 誕生日を迎えた佳子は35歳。英会話教室で講師をしています。翔太という小学生の息子との2人暮らし。別れた夫・和也と翔太は月2回宿泊面会の機会があり、そんな日には佳子は交際中の男性とデートをします。男性は英会話教室の生徒でした。三崎と言います。30代後半になる彼の住まいは清洲橋通り沿いにある分譲のマンションで、1DK。佳子はこの部屋を見てすぐ、三崎の人生設計の中に結婚という言葉は存在しないと直感しました。和也との仲が冷え切っているわけでもないようなので、佳子がこの後、どのような道を選んでいくのか、興味がかき立てられます。

 八幡堀遊歩道には、八幡橋以外にもう一つ、古い橋が保存されています。旧新田橋と言います。これまた新しい橋に現役を譲った橋です。元は大横川に架けられていました。「大正時代、岐阜県から上京し、木場五丁目に医院の開業をしていた新田清三郎さんが、昭和七年、不慮の事故で亡くなった夫人の霊を慰める『橋供養』の意味を込めて、近所の多くの人たちと協力して架けられたもの」だと説明されています。新田氏は町の相談役としても人望が篤く、「木場の赤ひげ先生」として慕われていたそうです。ここにも一つ「物語」が存在していました。

 

『かなえの八幡さま』と亀久橋

 北上して少し歩くとまた川です。今度の川は仙台堀川と言います。運河ですね。仙台市のサイトに名称の由来説明がありました。それによると、現在の清澄公園近くに仙台藩の蔵屋敷があり、この水運を利用して仙台から送られた米などを運び入れたことから「仙台堀」と呼ばれたそうです。

 目の前の橋は亀久橋です。鉄道橋のような姿ですね。長大な橋ではないのに、重厚さを感じます。親柱などにかわいらしいステンドグラスの装飾(画像)があって、夜の姿がきれいです。 

 瀬田ユキノ(せだ・ゆきの)『かなえの八幡さま』(2014・平成26)の中に亀久橋が出てきます。 

  能代百合(のしろ・ゆり)は高校2年生。母とは死別し、父と三鷹に住んでいます。夏休み直前、父から再婚話を聞いた百合は頭が真っ白になり、行くあてのないまま家を飛び出てしまいました。持って出た古い鞄の中をふと見ると、1枚の絵馬が入っています。百合の叔父が宮司を務める「清澄八幡」の絵馬でした。

 百合は電車内で特異な服装をした若者と知りあいました。車中のアクシデントで母からもらった大事なお守りを壊してしまった百合に対し、彼はこのままだともののけにからまれると言います。もののけが見える不思議な力を持っているようです。

 怖く思った百合は、家まで送ると言い出した彼を振り切って地下鉄の門前仲町駅で下車。必死に駆け続け、亀久橋まで来ました。ふと見ると、赤い鼻緒の下駄が置かれています。手にした途端、無性に履いてみたくなりました。それを履いた時です。遠くから不思議な歌が聞こえたかと思うと、何物かが百合の体を支配し、川に引きずり込もうとします。

 危機一髪、そこに先の男性が現れ、百合は助かります。彼は轟弥次郎(とどろき・やじろう)といい、清澄八幡に居候をしている人物でした。神社は深川江戸資料館の近くという設定。亀久橋を渡った先です。百合は偶然にも叔父の住む近くまで来ていたわけです。しばらく泊めてもらうことになりました。

 亀久橋での怪異は続きます。再びこの橋を渡ることになった百合の耳に、またあの歌が聞こえてきました。

 

『ボーイミーツガールの極端なもの』と仙台堀川

 亀久橋から仙台堀川の川沿いを通って歩きましょう。桜が植わっていますね。開花時はきれいなことでしょう。

 山崎(やまざき)ナオコーラ『ボーイミーツガールの極端なもの』(2015・平成27)の亀子さんは72歳。清澄白河の古民家に住んでいます。両親の建てた家です。同居するのは48歳の竜子と21歳の伽奈。「竜子と伽奈は義理の親子で、鳥子は竜子の伯母」という関係です。

 第一話の主役は鳥子さん。自分の人生において、まだまだ新しいものを見つけたいという気持ちでいます。自分を振り返るノートも記し始めました。ただ、そのノートの中身はどうも「淡々とした冷たいもの」になりがち。彼女はまだ恋というものをしたことがないのでした。

 鳥子さんには毎朝のルーティンがあります。川沿いを歩いてコトリパンというパン屋さんでパンを買い、住宅街を通って木場公園まで行き、ベンチに座って食べる、というもの。このパンが彼女の朝食です。

 「川沿い」とあるだけで、具体的な名前は出てきません。実在するコトリパンのお店の場所を考えると、この川が仙台堀川である可能性が高いです。

 この日の朝も彼女はコトリパンに寄り、クリームパンを1つ買って歩いています。いつも通りの行動でしたが、おなかが減ってしまったので買ったクリームパンをすこーしつまみ食い。なんだかかわいらしいです。この直後、いつもとは違った出来事がありました。ちょっとした偶然が、彼女の心にポッ、と灯りをともしてくれます。

 

『芭蕉庵のおもてなし』と海辺橋

 亀久橋から西に2つ目の橋が海辺橋です。この近くに松尾芭蕉関係の旧跡があります。芭蕉の門人だった杉山杉風(すぎやま・さんぷう)の別荘・採荼庵(さいとあん)がかつて存在しました。芭蕉が「奥の細道」の出発に際して利用した場所です。

 

 五十嵐雄策(いがらし・ゆうさく)「下町俳句お弁当処 芭蕉庵のおもてなし」(2018・平成30)は気持ちが穏やかになれる上に、芭蕉やその関係地などの知識も得られるという、ありがたい物語です。もちろん、この海辺橋やその周辺の見どころも紹介されます。

 

 三崎佳奈(みさき・かな)が弁当屋「芭蕉庵」を知ったのは全くの偶然でした。働いているのは姿の良い、和服姿の若い男性。彼が作った煮物は、恋愛のトラブルで心に傷を負い、深川に越してきた佳奈の気持ちを和ませる、優しい味わいでした。

 店の常連たちが言うには、ここは「松尾芭蕉と俳句を愛する人たちが集う」お店だそうです。月に何度か、芭蕉の足跡をたどる会が催され、和服の男性が作った絶品の弁当が味わえるとのこと。たまたまこの日がその会の開催日。佳奈も参加することになりました。一行が最初に向かった先が海辺橋です。時は4月上旬、仙台堀川の満開の桜が迎えてくれました。

 男性による採荼庵の解説が始まります。「奥の細道」の俳句の説明もわかりやすく、佳奈の心にも少し晴れ間が戻ったようです。この日の深川巡り、まだまだ続きます。歩いた後のお弁当、さぞかしおいしいことでしょう。

 

 常連客から「芭蕉さん」と呼ばれている和服の男性、穏やかな口調で話される言葉は、佳奈の心に深く染み入りました。また彼は鋭い観察眼の持ち主です。でもなぜか本名が明かされません。何か謎めいた部分があります。

 

 海辺橋から清澄橋にかけての川べりに芭蕉の俳句が18本の木札に書かれて並んでいます。佳奈もここから心に残る一句を見つけました。ただこの日(2023.3.14)は、海辺橋の1つ西側の橋(清澄橋)が工事中のため、道が行き止まりになっています。どんつきまで行った後はUターンして戻る形になります。

 

『千年鈴虫』と清澄庭園

 清澄白河駅に近づいてきました。深川江戸資料館や霊巌寺など、見どころ盛りだくさんのエリアです。清澄庭園も見逃せません。池泉回遊式の庭はどの季節に行っても趣深く、できれば時間にたっぷり余裕がある時に訪れたいものです。

 

 谷村志穂(たにむら・しほ)『千年鈴虫』(2012・平成24)の主人公・木田千佳(きだ・ちか)は、清澄庭園近くの人目を引く家に住む、30歳前後の女性です。独身の彼女には付き合っている男性がいました。

 その男・大橋征一(おおはし・せいいち)と千佳の出会いは、千佳の父の三回忌を終えた後のことです。千佳は長野の実家から上京してくる母親につきあって、『源氏物語』の文化講座に参加します。その講師が大橋でした。年齢は70代半ばで間の抜けた雰囲気。第一印象は良いものではありませんでしたが、『源氏物語』を音読する声には予想外の艶があり、千佳の心に余韻を残します。

 

 千佳の耳に大橋の色恋に関する話が入ってきます。中でも彼女を驚かせたのは、彼が千佳の母と関係を持ち、母を捨てたということでした。千佳は自分から大橋に近づきます。それは、光源氏ならぬ単なる老いた男が女性をどう誘惑するのかに興味を持ったからでもありました。しかし千佳の心も身体も、いつの間にか大橋に溶けていきます。

 

 大橋によって語られる『源氏物語』の世界。光源氏は女たちの体に宇宙を見ていた、と大橋は言います。千佳はその言葉を自分にあてはめます。

 

『イーストサイド・ワルツ』と万年橋

 小名木川の一番隅田川に近い場所に架かるのが万年橋です。ここから見える美しいフォルムの清洲橋は1928(昭和3)年の架橋です。なかなかの眺めでしょう? それを記した案内板もあります。小林信彦(こばやし・のぶひこ)『イーストサイド・ワルツ』(1994・平成6)の中にも、この眺めをかなり評価している記載がありました。

 

 主人公であるバツイチの作家・深野は56歳。彼の自宅は南青山にあり、生まれたときから住んでいます。講演の依頼があり、その会場に行くため、生まれて初めて隅田川の東側に足を運ぶことになりました。東陽町駅で地下鉄を降り、地上に出た彼は、土地の空気の違いに驚きました。高い建物が少ないことは確かですが、「それだけでは説明できないもの」があるように感じています。

 彼に講演を依頼した泉佐和子は逆に深川の生まれで仕事場もその近辺。隅田川の西に行くことはほとんどなく、行っても落ち着かないそうです。泉の高校の先輩が言うには、こちらはブルックリンで川向こうはマンハッタン。「だから清洲橋や永代橋を渡って帰ってくると、ほっとする」のだとか。

 深野は泉から若い女性を紹介されます。深野に講演を依頼したのはこの女性の発案だったのだそうです。女性は小川加奈(おがわ・かな)と言いました。深野の大ファンで著作はほぼ読んでいるということです。

 

 そのつぎの火曜日、深野は加奈の案内で深川近辺を散策しました。門前仲町で待ち合わせをし、深川飯を食べて、富岡八幡宮、深川不動尊、そして先ほど見た海辺橋たもとの採荼庵跡へ。芭蕉像について、深野は「旅姿の芭蕉の青銅像は、できて間もないせいか、なんだか安っぽい」と、辛口の感想を述べています。深川江戸資料館も見学しました。

 ただ、深野の印象に最も深く残ったのは、ここ万年橋のたもとから眺めた清洲橋の美しさでした。

 

 清洲橋は隅田川にかかる橋の中でも一、二を争う優美な橋ときいているが、手前に万年橋を置いた構図のすばらしさはこの上ない。加奈がいなかったら、おそらく、一時間は立ちつくしたと思う。

 

とまで記しています。

 加奈はフリーターですが、後、深野の家で資料整理をするアルバイトをすることになりました。加奈は深野が若い頃に大好きだった女性・池沢順子に似ていて、深野は次第に加奈を女性として意識するようになります。ただ、加奈はちょっと謎めいた部分もあるようです。

 

『容疑者Xの献身』と清洲橋

 海辺橋のところで名前を出した「芭蕉庵」ですが、芭蕉が住んでいたという本当の芭蕉庵の跡地は万年橋を渡った先先になります。現在、芭蕉稲荷神社がある場所です。すぐ目の前が隅田川ですね。隅田川の川べりの芭蕉庵史跡展望庭園にも芭蕉像がありますよ。こちらの芭蕉像にはちょっとした仕掛けがあります。

 ここからも清洲橋が見えますね。この橋についてはどうしてもこの作品を語りたい。この散歩では再びの登場になる東野圭吾(ひがしの・けいご)の直木賞受賞作『容疑者Xの献身』(2005・平成17)です。

 

 清澄公園近くにある共学の私立高校で数学を教える石神が住むアパートは江東区森下にあります。アパートから道を南下すると学校に着きますが、彼はわざわざ遠回りをします。新大橋で隅田川を渡って中央区に入り、今度は清洲橋を渡ってまた江東区に戻ります。なぜかというと、お弁当を買うため…というより、お弁当を買う名目で、お目当ての女性・花岡靖子の顔を見るため、です。靖子の勤める弁当屋「べんてん亭」は清洲橋の近くにあある、という設定です。

 

 靖子は、2度の結婚に失敗し、今は女手一つで娘を育てています。靖子と石神は同じアパートのお隣りさんです。靖子は2度目の夫である富樫慎二からのしつこい復縁要求を避けるために逃げていましたが、ついに見つかってしまいました。もみ合った末、靖子母娘は富樫を殺害。最悪の事態となります。そこに石神が現れ、今発生した事態を全て見抜いたばかりか、死体の処理を初めとして、今後どう行動すればよいかを指示します。靖子に対する想いからの行動でした。石神は頭脳抜群。綿密な計画が練り上がっていきます。しかしここに湯川学という物理学者が探偵役として立ちはだかります。かつて大学時代に共に学んだ人物でした。

 

『橋をめぐる』と清澄長屋

 今回の散歩で2回紹介した橋本紡『橋をめぐる』の第1章が「清洲橋」です。清洲橋を実際に渡る者にしかわからないような柱の詳しい描写や、橋詰めにあるベンチのようなオブジェについての言及など、とても物語散歩向けなのですが、今回は清洲橋橋詰までは行けません。その代わり、と言うのも妙ですが、清澄白河駅付近にある、通称「清澄長屋」(旧東京市営店舗向住宅)についての記載が今回の散歩では生徒を面白がらせました。最後に付け加えさせていただきます。